創刊号 1993年10月15日


主な内容


会報創刊にあたって
曹洞禅インターナショナル会長 松永然道

 過る二月に、両大本山及び宗務庁、元海外間教師、また海外開教について今日までご支援や関心を奇せれた多くの先輩諸老師の参加を頂き、曹洞禅インターナショナルが発足の運びとなりました。 大変遅れましたがここに第一号の会報をお送りいたします。

 記念すべき創刊号の巻頭に奈良康明先生の論文を幸いにも頂く事が出来ました。今、世界中が大きな変革の中にあります。 この変革期に当たって、我々宗門人も等しく己を見つめ直し、国内、海外をとわず布教教化とは何かを再考すべきであります。この時期に曹洞禅インターナショナルが出発出来ますことは、意義深いものと思います。奈良先生の巻頭に述べられた意とするところを会の理念として行きたいものと思います。

 開教諸師は多様性の世界で教化宗団の一人として、違う世界 観を肌で受け止め、共生してき た経験を持っています。国内にあっても、現在のお互いの情報 を交換し連携を密にすることが、引き続き懸命の精進をして いる現開教諸師、更には国内の諸老師方の浄業に細やかながらも役に立つことになるのではないかと思います。

 この会報に、皆様からの種々の情報を提供して頂き、共に当面する問題に取り組んでいきたいと思います。宜しくご指導、ご協力をお願いしご挨拶といたします。


釈尊の説いた教化の条件
駒沢大学教授 奈良康明

(一)
 禅が世界的な関心をあびているという。たしかに、外国人が禅を求めるそれなりの需要はあるし、禅の教えが今日世界の人々に説かれるべき宗教的な内容を持っていることも確かである。しかし、だからといって、日本人に対するのと同じように 説けばいい、ということにはならない。いや、日本人に対して さえ、今の説き方が十全のものであるとはとても言えないので ある。

 スタンフォード大学のC、ヒールフェルト教授は、アメリカにおける道元禅帥への関心を「哲学者道元」にほぼ限られているという。「宗教者道元」や、 鎌倉期に生きた宗教的人格としての「人間道元」への関心、研 究は大幅に欠落していろ。これ は、ある程度事実だろうと思う。 禅の歴史的かつ文化的伝承のないところでは、理論から入るのがもっとも手早いものだからである。

 しかし、嘗ての鈴木大拙が禅を説き、大いに欧米の知識人を啓蒙したのと同日に考えてはならない。今日、欧米各地には曹洞宗系の(いや、組織としてははっきりと曹洞宗にかかわる) 禅センターが数多く樹立され、青い月の白人が黒衣の袖を翻して坐禅と作務の生活を続けていろ。経済的にもとにかく独立していて、これは教団としての曹洞禅の定着である。両祖の教えは、今や、欧米の地に根をはやしたのであり、現象的にはささ やかなものはあっても、曹洞禅は外国で新たな発展にむけて、すでにスタートしてしまってい るのである。

 禅センターの定着ということ自体が、欧米における曹洞禅の生活化であり、今日化もこの問題にかかわっていろ。宗門の在外寺院の活動としても、日系人を含む外国人の中に生きる曹洞禅の可能作が検討されなくては ならない。それはすなわち教化の問題である。曹洞禅の国際化は種々の視点から検討されるべ きだが、ここでは、教化の面から考えてみたい。

(二)
 禅を説き、人に信をおこさせ、実践に導くために、つまり禅の教化の為にはどのような条件が必要なのか。一つの基準として、釈尊の見事な伝道宣言のことばがあるので、それを取り上げながら考えてみたい。

 ヴァーラーナシーでの初転法輪の後、釈尊はしばらくこの地ににとどまっている。五人の嘗ての修行者仲間も教化し、その他多くの青年を出家・修行させ、ある程度の人数が揃ったところで、釈尊は弟子たちに各地に伝道に赴くよう命じる。

 その時に、釈尊は次のように説いている。 比丘たちよ、私は・・・一切の 束縛から自由になった。そなた たちも同様に自由となった。諸人の利益と幸福のために、また 世の人への共感をもって、神々と人間の利益、幸福のために、そなたたちは出かけるがよい。 (なるべく多くの人に教えられるよう)二人して道を行くな。 初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現とが備わった教えを説きなさい。この上なく安全で、清らかな行いを 人に示しなさい。世間には心の目が(欲望の)塵垢にそれほど覆われていないのに、教えを聞くことができないところから堕落している人がいろ。(教えられれば)彼らは真実を悟れるであろう。 (「相応部経典」一・四・一・五)

 「もろもろの人の利益と幸福 のために」というのは釈尊の伝 道の目的が人々の救済にあるこ とを示している。

 必ずしも物や金、仕事などを 与えることではなく、精神の救いであることは明瞭である。釈尊を初めとする当時の出家者は、社会を出た人である。従っ て世俗社会の福祉や貧困などに具体的にはかかわるべきではな いという鉄則がある。

 この点が現代の私たちと異なるところで、私たちは社会内の 存在である。 国勢調査で国民の一人に数えられ、(托鉢によって食を得るのではないから)経済 的には自立し、所得税を払っている。社会の一身であるだけに、 宗教者の社会的責任は?などと 問われている。

 しかし、仏法の最基本は、真実に随順して生きる努力を続け、そこに真の自己実現をはかるものであろう。 自己のプロセスのなかにこそ、それぞれの宗教者としての社会への働きかけ が含まれている。だから心か 物か、精神か福祉かなどという軽率な二元論で、我々の宗教活動の領域を規定するべきではなかろう。社会の人々と心の痛み を分かち合うところから我々の教化、伝道はスタートする。そこから、いわゆる一個半個の教 化もあるであろうし、積極的に社会活動を展開し、具体的な形 で社会に貢献する道も開けている。「人々の利益と幸福のために」何をするのか、何が出来る のか、それが私たち各人の決意と選択の問題であろうと思う。 それがすなわち「世の人々への 共感」にほかならない。

 さりげない表現の中に、釈尊は無限の思いをこめてこのことばを語っていると私は思う。人に親切にせよ、善をなせ、といった表現と同じで、ことばとしては何ということもない。あるべき理想を述べていろように見えて、しかし、真摯にそれを受けとめ、実践するためには、全生活をあげての決意と努力が必要とされよう。まさにその決意を釈尊は弟子たちに要請しているものだし、同時に、これは私たち教団への教戒でなければなら ないものであろう。

 釈尊は二人して道を行くな、と命じる。何故二人で行ってはいけないのか。なるたけ多くの人に聞法の機会を与えるためであって、これも伝道への熱意のあらわれと見るべきであろう。

(三)
 それではどのようにして教えを説くのか。仏典は「初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現とが備わった教え」を説けという。道理を備えるというのは、智恵と慈悲を備えた教えとみてもよいものである。 しかも、表現が備わっていなければならない。ここでは判りよい表現、優美な表現、人の心を魅了する表現、などと言い換えてもいいものである。教えは人々に理解され、心をゆさぶり、信をおこす契機とならなければ ならない。

 まさにここに現代の私たちが直面している大きな問題がある。判りよい禅の表現とは、禅の教えの今日的な表詮といってもよい。果してその教えがある だろうか。

 これは宗学研究にかかわる問題である。正直に言わせてもら えば、今日の曹洞宗学は私たち 一般の人間には理解できないことばでつづられている。それは、 一つには、単にことばのみの問題ではない。論理、ないし、レヴェルの問題だろうと私は思う。  つまり、「正法眼蔵」であれ、その他の祖師方の語録であれ、 すべてはいわば「悟りの立場」 から説かれている。坐禅は手段ではなく、目的だという言い方などがその例である。何のため に坐禅するのかと問われて、「無目的」と答えるお師家さんは少なくない。その意味は、坐禅は仏行であり、坐ることが仏としての自己を瀕しているものだか ら、ということであろう。この説明は私たち宗門の人間にはそ れなりに判る。小僧の時から聞かされ、少しずつ身体に染み込んでいるし、幾分の理論的説明もなされている。しかし、所詮「悟りの立場」からの、「仏として」の表現なのであり、日常の論理で成り立っている会話には なじまない、そもそも、人間の行為にして目的のない行為などというのは、論理的にありえない。だから「無目的の行為」と 言っても理解されにくいのである。これに対して、「だから坐禅は人間の行ではない、仏の行だ」 などと言うのは、誤解をより増 すだけのことである。

 やはり、一般の人に説こうと 思ったら、人々の判ることばで 語らなければならない。例えば、 坐禅は自我のはたらきを抑える 手段である、などと説いておい て、次第に坐禅が仏行であるこ とを説いて行くことは可能であ ろう。

 下らないことのようだが、ま さにこうした点に禅の教えの難 解さがあるように思う。修業者 相手ならいざ知らず、一般に人 たち、それも外国の人たちに禅 の論理をそのままぶつけても理 解されるはずがないのである。 この意味で、今日の洞門では、 少なくとも上の意味で整備され た表現が身近に利用できるとは 思えない。教えの「表現」に関 する不満の一つはここにある。

 しかし、同時にこれは宗学者 のみに任せておけば良いという 問題でもない。「表現を備えた教 え」には別の面から考えるべき ことがある。 なぜなら、私たち はいまや教化活動をしよう、と 決意しているのである。教化す るという以上、教化すべき何物 かを私たちは自らに持っている はずなので、その理念こそを、 ことばで示すこともまた「教え の表現」に違いない。必ずしも、 教学的な表現のみの問題ではな いのである。

 それは端的に私たちそれぞれ の問題であり、実は、それと関 連して釈尊の次のことばを聞く 必要がある。

(四)
釈尊は道理と表現が備わった 教えを説け、という反面、「この 上なく完全で清らかな行いを人 に示せ」と言う。これは仏法が 表現だけの問題ではないことを 示すものである。仏法は人々の 生活実践、あるいは修行を通じ て、はたらきだす。教えを説く ものが自ら説くものが自ら法を 実践し、人に示さなかったら、 説得力もないし、人間的な影響 を通して生き方を教えることも 出来ない。

 各人の仏法の理解と自覚の上 に実践されなかったら、どんな い素晴らしい教学的な表詮でも 単なる知識でしかない。そして 世界の傾向は、単なる哲学、知 識としての宗教よりも、実在的 な「生きる」道としての宗教が 求められている。禅に関心がも たれるのも、まさに禅が「生き る」道であり、仏法、つまり真 実に自ら「参加」するものだか らである。同様に、知的な、そ れこそ人々が理解できる表現を 持った説明がなければ、「生き る」実践の方向を示すことは出 来ない。

 知と行はこうして車の両輪の ように共にはたらくものだが、 まさにここに私たちの教化の現 実的な出発占仙が見いだされるも のであろう。私たちはとにかく スタートしなくてはならない。 それぞれに社会的かつ宗教的な 活動を展開しつつ、それを支え る教学ないし実践の理念は常に 模索されなくてはならない。逆 に仏法に随順する私たちとして は、禅の教えは、真に、自己を 見いだしつつ「生きる」方向を 導くものとして、実践にはたら き出てこなくてはならない。

 教化のポイントは、結局、世 の人々への共感であり、心の痛 みの分かち合いであり、宗門人と しての自覚に基づく実践という ことに帰着するものといえよう。


海外だより

北米サンフランシスコ桑港寺
主任 細川正善

 92年の北米総監部の行事を振 り返ってみると、九月上旬にカ リフォルニア・ナパバレーに於 いて開教師協議会が開催、十一 月中旬には第三回北米・ハワイ 曹洞宗信徒大会がサンフランシ スコ桑港寺を会場に開催され多 忙な一年であった。

 開教師協議会は第三回を迎 え、特に今回より、開教師のみ ならず寺族を含めた会議とな り、内外における問題を寺族の 立場から捉進してもらい、今後 の開教の在り方に対して一つの 警鐘であった。

 特に生活の点では、家族を支 えるための具体的な例が出さ れ、その第一に挙げられたのは、 開教師の生活保証の改善が急務 とされた。この為、総監部、宗 務庁と協議の上、その対応を進 めている。

 更に慢性的な開教師の不足と いう事態が続いており、その対 策にも苦慮している状態であ り、今後の課題として急ぎ検討 しなくてはならない。

 第三回北米ハワイ曹洞宗信徒 大会では、ハワイより約六十名、 北米側より七十名が参加し、信 徒側より教団のかかえる問題が 提示され、開教師と信徒との開 教のあり方が問われた。又、特 別講師として、駒沢大学教授 大谷哲夫師と、浄土真宗シカゴ 仏教会開教師小杭好臣師の講演 があり、両師の豊富な体験に耳 を傾けた。

 海外開教のかかえる問題は多 岐に亙り山積しているが、総監 部を中心に、開教師間の連携と 信徒間の協力により、今後の開教 の資に処したい。

 総監部でも、これら各種の行 事を催す際に米国内に留まら ず、広く日本からの参加を呼び かけ、相互の理解と協力のもと、 正伝の仏法が流布されるよう望 むものである。

ヨーロッパ ドイツミュンヘン直心庵
主任 中川正寿

 去る三月十日、一時帰図され たドイツ・ミュンヘン・直心庵 主任開教師・中川正寿師に、お 話を伺いました。

 現在は、接心を中心に、時に は、他の禅のグループの要請で 講義をしたり、坐禅の指導をし たり、また、キリスト教の信仰 を持つ一般の人々から招待を受 け、パネルディスカッションの パネラーとして禅者としての立 場での意見を求められるとのこ とです。そして、最近は、積極 的にキリスト教等の聖職者との 交流にも力を人れているとのこ とです。

ハワイ 米国ハワイ州 カウアイ島禅宗寺
 住職 三好晃一

 本年は、ハワイのカワアイ島 に曹洞宗禅宗寺が創建されて90 年目にあたります。

 また、昨年ハリケーン『イニ キ』により破壊された諸堂の修 復が10月に完了する予定でござ います。当山では来る11月14日、 開創90周年並びに修復記念法要 を厳修いたします。 13日には盆踊りなど多数の催し を取り揃えた前夜祭も計画して おります。

 つきましては、この勝縁にぜ ひ日本の宗侶、檀信徒の方々の ご列席を賜りたくお誘い申し上 げる次第です。

 秋冷の日本を離れ、南の島の 休日も併せてご満喫いただける 絶好の機会でもあるかと存じま す。皆様お誘い合せのうえ多数 ご参加いただけることを祈念い たしております。   合掌


この人
元ハワイ・カウアイ島・禅宗寺駐在開教師
静岡・法憧寺住職 秋田新隆師

 秋田新隆師は昭和35年に ハワイ・カウアイ島禅宗寺駐在 開教師として赴任して3年半の 海外布教をされ帰国し、現在は 静岡県静岡市長沼・法憧寺住職 としてハワイでの経験を生かし た地域でのユニークな活動を展開 されています。

 秋田師は、フレンドシッブ・ フォース静岡の会長、国際交流 協会推進委員等、地域での国際 交流に大変力を入れられており ます。

 日本語を学ぼうとしている県 内在住の外的人教師の研修会、 或は、日本文化を外的の人達に どのように英語で説明するかと いう研修会、或は、外国人に仏 教の歴史、思想などの講義と坐 禅の実践という研修会等に、自 坊を開放し、自ら講師としても 活躍されています。

 寺に泊まり込んでの研修の時 などには、地域のご婦人達が、 精進料理などの食事を作った り、地域ぐるみでバックアップし ています。これもひとえに日頃 の秋田住職の布教の賜物です。  「国際交流」と言葉では言い ますが、表面だけの交流では意 味がありません。それぞれの文 化・考え方の違う人々と本当に 交流するには、相手の文化を知 るところからはじまるのではな いでしょうか。地味ではありま すが、地域のこのような活動か ら其の国際交流というものが 育っていくのだと信じます。


南米開教総監に森山大行師

 南米開教総監に、平成四年十 一月十二日付けで、前南米開教 総監・青木俊亨師の後任として、 大菩薩山僧堂瑞岳院・前堂頭・ 森山大行師が任命された。

 森山師は米国サンフランシスコ桑港 寺駐在開教師として、昭和四十 五年から三年間駐在経験があ る。端岳院開堂十周年を記念 して、平成元年九月、「道元禅」 を世界の人々に広めるために、 森山師は親しい住職や在家の信 者と共に「国際禅仏教交流会」 を発足させた。道元禅師の示さ れた仏法の神髄である「弁道法」 を実践する場として、海外から 仏道を学ぶために日本を訪れる 外国の人達に開放している。

 日本の大部分の寺は、檀家制度中 心に成り立っていて、法事・葬 式等の檀務で忙しすぎ、本格的 な坐禅弁道ができにくいが、瑞 岳院では、既にアメリカ、ヨー ロッパ、南米各国から述べ三百 人を超えた人々が訪れ、まさに 国際禅仏教交流の場として活動 してきた。

 森山師は、当面、南米総監部 の改築という事業を手がけねば ならない。五十代の総監という ことで、宗門内外の期待は大き い。今後の活躍を祈る。

ミネソタ禅センター 主任開教師に奥村正博師

 去る八月二十六日、奥村正博 師一家(奥さんと子供2人)は、 ミネアポリスに向けて、成田を 出発した。奥村師は、アメリカ 東部のマサチューセッツ州パイ オニアバレー禅堂(現在は、藤 田一照師が主任開教師)の基盤 を市田師と共に築いた。

 帰国後、外国の参禅者用のテ キストの必要性を痛感し、京都 禅センター・故細川佑葆師の援 助を得て「DOGEN ZEN」 「SHIKANTAZA」「GAKUDO YOJINSHU」 「SHOBOGENZO ZUIMONKI」などの翻訳を手 がけている。

 また、奥村師は、国内外で行 われる接心や国際特別安居等の 講師として指導にあたり、宗門 でも貴重な人材である。ミネソ タ禅センターに学ぶ人々からの 期待に答えるもので、曹洞宗の 国際化が問われる現在、宗務庁 としても適材適所の人事である。

熊本県菊池市にある聖護寺 は、室町時代(一三三八年)肥 後の豪将・菊池武重公が、大智 禅師を迎えて建立した古刹であ る。

 現在は四国・瑞応寺堂頭・ 楢崎一光師が住持として、境内 地の拡充、本堂屋根改修、開山 堂新築、僧堂衆寮建立等整備を 着実に行い、国際的な視野に立っ た国際禅道場を目ざしている。

 昨年夏、日米から約二十名の 参加を得、第一回目の国際特別 安居が開催された。そして今年、 第二回目が催され、国際禅道場 としての活動がようやく軌道に 乗ってきた様に見受けられる。

 第一回目に参加した太源レイ トン師は、サンフランシスコ禅 センター発行のウィンドベル (平成五年度春号)の中で、「こ の国際特別安居に参加して、外 国から参加した修行者と、日本 から参加した修行者との間の修 行についての取組みの姿勢が違 う。つまり、外国で修行してい るものは、修行中、何か疑問が あったらその場で師に質問する のは当然であると考える。しか し、日本では、知的理解を超え て自分の肌で体得することの大 切さを説く。永年、アメリカの 地で禅を広められた故片桐大忍 師がこのように日米の修行者が 一緒に修行するような場を強く 望んでおられた理由がわかっ た。」と述懐されている。

 世界で禅が関心をもたれ、各 地に禅センターが定着している とはいっても、まだまだ教団と しての対応が不十分であること は否めない。聖護寺での国際特 別安居は、これからの曹洞宗の 国際化の中での海外開教にイン パクトを与えていくであろう。


Return