第15号 1999年8月10日
主な内容
羅針盤を求めて
東北福祉大学学長哲学博士 島根県済善寺住職 荻野浩基
混沌とした20世紀は闇の中で幕を閉じようとしている。現実の社会は、真っ暗な荒波の海に浮かぶ、羅針盤を失った一艘の船に見えてくる。「哲学・倫理・宗教なき人間社会は羅針盤を失った船であり、科学技術・社会政策なき人問社会は帆を失った船である。」20世紀では当然と考えられていた価値の物差し(スパン)が音をたてて崩れていくのを感じる。例えば自由・平等・人権・ヒューマニズム・民主主義は信じて疑いのないものであろうか。正義の名の下で物理的強制力に頼る世界。マスメディアによりメンタル操作される世界。オウムに見られるように、いともいかがわしい宗教に走る若者達の世界。汗を流さずゲーム的金融操作に頼る世界。
全てにストレスと「不安」の二文字がある。人間としての自己実現と経済生活がアンバランスになっている、人類は何を基軸に、何を信じ生きようとしているのかつ全てにおいて生きる「智慧」を人は求めてやまない、この狭い地球に人類が共生・共存するためにはグローバリズムは進めなくてはならない。しかしそこにあるグローバルスタンダードとはアメリカンスタンダード若しくはユーロスタンダードであり、一汗教のアングロサクソンスタンダードではなかろうか。
正しいグローバリズムの実現のためには、20世紀では軽く見られてきたか又は木質的価値に気づかなかった東洋の多元的価値に目を向けるべきである。多元的価値、そこに発生する「寛容の精神」こそ人類のサバイバルの鍵となるであろう。グローバルな21世紀に貢献できるものが仏教である。そして西洋に発達した科学技術文明を正しく、人類に結びつけるものが禅であると確信する。
SOTO禅 異文化理解
国立政策研究大学院大学教授青木保氏
大本山總持寺と共催で、6月23日「異文化理解」をテーマとしたワークショップが總持寺寺三松閣4階大講堂において開催され、SZI会員、本山役寮・修行僧、一般参加者ら約120人が参加した。
この研修会は、海外布教の現状を本山修行僧に知ってもらい国際化社会に向けた人材育成を推進するために企画された。
はじめに板橋貫首により、海外開教師並びに寺族物故者追悼法要が御親修され、「異文化理解とは色々と異なる文化を互いに垣根を取り払って理解すること」と御垂示された。
続いて藤川会長が曹洞宗の海外布教について説明し、本山修行僧に対する期待を語った。
そして国立政策研究大学院大学教授の青木保氏を招き、異文化理解という演題で講演をお願いした。
最後に總持寺を代表して、渡邉監院老師が挨拶し、異文化理解の必要性と總持寺の千年の森も世界を視野に入れた運動であることを述べられた。
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この10年ほど世界の各地に研究や会議出席のために赴く度にますます、異なる文化の間の関係が非常に重要なものだと感じるようになりました。
一方、現代社会では、科学技術の急速な発展と人間の精神とのアンバランスが問題となっており、宗教に対する関心も高まっています。そして新しい宗教も、世界各国で起こってきています。
日本でも、オウム真理教事件が社会に大きなショックを与えましたが、中国でもいま法輪功が問題になっています。中国では、カルト的宗教が様々な社会的変動のきっかけとなる場合が歴史上よくありましたので、中国政府も禁止しようとしていますが、これも何かのきっかけになるかもしれません。中国で文化人類学の調査を行った私の学生の話では、中国の農村の人たちは占いや民間信仰など宗教的なものに非常に関心を持っているということです。こうした宗教に対する関心が高まっているのは、中国に限ったことではなく、世界の多くの国に共通している傾向だと思われます。一方、宗教の別な側面として、宗教問の対立ということがあります。コソボ紛争なども、セルビア人のギリシャ正教と、アルバニア人のイスラム教というように、宗教・文化の相違が紛争の要因の一つになっています。これらのことからも、現代は宗教・文化の時代であるということができると思います。よく文化の衝突、文明の衝突といわれていますが、大きな意味での「文化」の問題が国際社会で重要な意味を持ってきています。他方でグローバル化がいわれる現代ですが、文化の違いは、価値の違いを生み出すことでもあり、問題は複雑です。1990年代に入り、ソビエトや東欧の政治体制の崩壊などが起こり、社会主義と資本主義との冷戦の時代が終了しました。
そしてこの後、宗教・文化・民族などの相違による摩擦が各地で表面化するようになりました。現代社会における地域戦争や人事件の背後に、宗教的対立や民族的対立が存在することが多くなりました。このように、政治経済の対立の問題からだけでなく、文化の相違が原因となる紛争が現代社会では頻発しています。したがって、異文化理解ということがより一層重要なことになってきています。ところで、文化人類学というのは、実地調査によって異文化の中に入り込み、社会の仕組み・文化を研究するという学問です。しかし、文化人類学のように特別に異文化を研究しようとしなくても、交通・情報手段の発達により、我々のまわりに多くの異文化が存在するようになっています。また、特に海外で仕事をして生活した場合は、否応なしに異文化理解をしなくてはならない状況に直面することになります。例えば、ワシントンに住む日本人の駐在員が、田宅に各国の外交官を招待した際、宗教上の理由で牛や豚の肉を口にしない人がいることを気にかけずに料理を作って出したら、誰もその料理を口にせず、主催者の日本人夫妻が恥をかいてしまったなどという話も昔はありました。これは、このようなことに不慣れであったためでしょうが、異文化に対する理解不足が根本にあったと思われます。今ではこのような初歩的なミスはないと思いますが、それでも相手の文化に対する知識が欠けていたため、当人に悪気はなくても、相手に無礼な態度と思われてしまうことも多くあることでしょう。また今日、一時的に東京をはじめ日本各地で、外国の人々と出会う機会が増えています。ある程度の人数の外国人が集団でいると、気味が悪いと思う日本人は多いのではないでしょうか。このような場合、異文化に対する偏見がその一因となっていることも多いと思います。
日本人は、一般にアジア文化などといってレッテルを貼り西欧・アメリカ文化以外の文化に対して偏見を持っていることが少なくありません。安易にレッテルを貼ってしまうのではなく、様々な異なる文化を知り、互いの理解を深めることができれば、そのような偏見は少なくなるでしょう。交通手段などの発達により小さくなった地球においては、仕事などをしていく上でも、深い異文化理解とそれに対する適切な対処の仕方とが求められるようになってきています。しかし、異文化は否定すべきものではありません。世界各地に異なった文化が存在することは人間にとって喜びであり、それを知ることは楽しみでもあります。それぞれの文化は、異なった歴史を持ち、伝統や遺産を持っています。
そしてどの国においても、異文化に対する偏見の一方で、異文化に対するあこがれも存在します。日本は、かつては中国文化の影響を受け、近代では西欧文化の影響を強く受けました。
現在でもフランスの絵画展などは人気がありますが、これも異文化に対する高い関心を示すものでしょう。
また、中国の北京大学はアメリカ大学ともいう人が中国にはいます。これは、北京大学の学生は優秀であるため、すぐにあこがれのアメリカに留学してしまい、アメリカ大学に直結するからです。
実際、官僚などを比較した場合、日本よりも中国の方が、英語を流暢に話す人の割合は高くなってきています。また、中国では日本文化に対する関心よりも、アメリカ文化に対する関心が高いという傾向もみられます。中国人は、日本の経済力に対しては非常に関心を持ちますが、日本の文化に対するあこがれは持ちません。そしてこの傾向は、何も中国に限ったことではありません。
このことは、現在の日本のありかたの大きな問題だと思います。つまり、日本は文化的に魅力がないということなのです。現在の日本は、外国の人を誘惑するような文化的特色を失っているのではないでしょうか。明治時代には、多くの外国人が日本文化に関心を持ち、多くの美術品が海外に流出しました。しかし、現在の日本文化はそのように外人を惹きつけてはいないようなのです。日本経済がバブル期にあった80年代には、ハーバード大学の外国語教室では、日本語が一番人気がありました。しかし、日本経済が低迷するのと同時に、現在では日本語離れが進んでいます。これは、日本の文化に対する関心ではなく、経済に対する関心だけが高かったということを示しています。
しかしながら、お茶や生花や能や歌舞伎などの伝統文化や、禅などの仏教文化に対する人気は依然としてあります。禅を日本で学びたいという外国人にもよく出会います。ところが、このようなときに推薦できる受け入れ先が、現在の日本には非常に少ないと思います。
ところで、曹洞宗は国際的な活動に力を入れていると、前から聞いています。私がタイのバンコクにある僧院で修行していたときも、日本から曹洞宗の僧侶の方々が訪問されたことがありました。このような曹洞宗の特色を生かし、總持寺やSOTO禅インターナショナルが、より一層海外に開かれていき、日本が異文化圏の人々を文化的に誘惑できるようになるための、一翼を担う存在に発展していただきたいと期待しております。
SOTO禅 DOGENシンポジウム
駒澤大学前学長奈良康明教授
今回は私共(秋・舘盛)がSZIの会報を通じて、本年10月23・24日にアメリカ・スタンフォード大学にて開催される「DOGENシンポジウム」のプリ・リポートをお届けいたします。是非ご覧になって頂き一人でも多くの方々がシンポジウムに足を運んで頂けることを祈念いたします。
この「DOGENシンポジウム」は道元禅師ご生誕800年記念慶讃行事(平成12年)、並びに示寂750回大遠忌(平成14年)に併せて行なわれる記念事業であり、今回はその発表者に名を連ねる奈良康明先生(駒澤大学前学長)、大谷哲夫先生(同校現副学長)にそれぞれお話しをお伺いいたしました。
願わくはこのプリ・リポートを以て我ら(SZI)と皆様方の仏道成就の一助とならんことを……、合掌。
1.DOGENシンポジウムとは
SZIの会報を通じて皆様もご承知の通り、海外における道元禅師の位置付けというのは我々日本人の想像をはるかに超えたものがあります。全米各地には日系人の方々を中心に布教教化活動を展開する日系開教寺院、また現地の方々を中心に道元禅師の仏法を敷衍していく禅センターが点在し、純粋に道元禅師の仏法を学び行じ続けている我々の勝友たちが存在します。そもそもこのシンポジウムはそういう方々と我々日本人が道元禅師に対する相互理解を深める為に企画されたものであります。もちろん時間と場所に制限がありますから、お互いの意見交換をその場で一同に交わすことは不可能ですが、日米両国を代表する先生方、並びに現場でご活躍中の指導者の方々の発表を中心にして、今後の意見交換の場を広げていこうとすることが今回のシンポジウムの狙いでもあります。最近は「道元禅師に対して仏法ではなく思想・哲学を求める傾向が強い。」という言葉をよく耳にいたします。もちろん道元禅師は思想・哲学を説いた思想家ではなく、あくまで釈尊正伝の仏法を後世に伝えた宗教家でありましょう。道元禅師に対する様々なアプローチがあることは事実ですが、このシンポジウムは最終的に宗教家・道元禅師に帰結するものとなることでしょう。そのきっかけとなる意見交換をして頂くということは、我々の道元禅師理解においても意義あるものになることは間違いありません。
2.現代における慕古の意味とは
ご承知の通り発表者に名を連ねる奈良・大谷両先牛は駒澤大学の教授でありながら、我々宗門寺院の一住職でもあります。今回は道元禅師750回大遠忌の予修事業という意味を踏まえながら、その大遠忌のテーマでもある慕古という言葉の意味とシンポジウムの発表内容について語って頂きました。両先生に共通する点とは、慕古という場合の古(いにしえ)とは「新旧」という場合の「旧」、つまり古(ふるき事)という意味ではなく、仏法の原点に立ち遷る意味での古(いにしえの道)ということです。奈良先生は「慕古と言う時に私達が慕う古とは、何も時代的に古いものを指す訳ではないと私は理解している。特に道元禅師が古と言った時には、時代的に古いもの、いわば時間的に後ろを向いてしまったものを指すのではなく、万物を支えている真実、いわゆる仏道を大事にしていこうとする道元禅師の考えを指して言うのではないか。それを現代生きている我々がどう受け止め、どう解釈していくか、それが慕古の意味だと解釈している。」と申され、その慕古の意味を真実の自己を現す「自己実現」という言葉を以てお示しになられました。
また大谷先生においては「雪に立ち臂を断つこと実に難しとすべからず、ただ恨むらくは未だその師あらざることを。汝等、須く慕古の志気を励ますべきものなり。」(『道元和尚広録第五』第392則・断腎会上堂)という二祖断腎に関する『永平広録』の上堂語を引用し「道元禅師の言う慕古とは単純に昔を慕うべしと言っているのではない。禅師の言う慕古の志気とは大変激しい求道の心のことを言っているのである。達磨大師と慧可大師の問に繰り広げられた求道の心、正しい仏教の心を探求していくという気持ち、それが慕古の心なのである。」とまとめておられます。この両先生の見解からも、ここで言う慕古の意味とは決して古(ふるき事)を慕う意味ではなく、過去の祖師方が綿密に行じてきた古(いにしえの道)、つまり仏祖の古道を慕う意味であることがわかります。
3.講演の内容について
奈良先生は「現代日本の曹洞宗」(仮題)と題し、現代社会における諸問題に対して日本曹洞宗ではどの様な取り組みを見せているかという点について語って頂きます。また前述した「自己実現」という慕古の意味を踏まえながら、今後の仏者の在り方、日本曹洞宗の方向性について論じて頂きます。また人谷先生に関しては「道元禅師、その法を嗣ぐ」(仮題)と題し、道元禅師の仏法における「嗣法」の重要性を改めて論証して頂き、家学者の立場から混迷した現代社会における仏者の在り方、つまり道元禅師の言う正法を嗣いだ者の在り方について論じて頂きます。この発表内容からもわかる様に、両先生の発表とも「道元禅師と現代社会」という我々宗門が抱える共通テーマに自ずから帰結し、まれに'慕古という言葉が陥りがちな古き事を単純に是とする安易な伝統至上主義に警鐘を鳴らすものであります。我々が道元禅師ご生誕800年、同じく示寂750回大遠忌において何故慕古というテーマを掲げる必要があったのか、また何故古(いにしえ)という言葉の意味を再確認する必要があったのか……、このシンポジウムはその慕古の意味を改めて問い直す絶好の機会になるものと思われます。限られた紙面を以て両先生のお話し全てをお伝えすることは不可能ですが、その価値あるご提言は今秋日本から遠く離れたアメリカ・スタンフォードの地で必ずや華開くこととなるでしょう。またこの難値難遇の勝縁は道元禅師ご生誕800年・示寂750回人遠忌にふさわしい記念事業となり得ることでしょう。まさに古(いにしえ)を慕うという慕古''の意味とは、振り返ればそこに「過去」ではなく「未来」が見えるものなのです。慕古とは過ぎ去った「過去」を振り返る行為ではなく、その古(いにしえの道)を見詰め直し、「未来」に目を向ける第一歩でもあるのです。大谷先生は「あまり現代にばかり目を向け過ぎると、我々は道元禅師の仏法を見失う恐れがある。」と懸念されております。しかし同時に「故に我々は今古(いにしえの道)を改めて見つめ直す必要があるのだ。」とも提言されております。その古''(いにしえの道)の中にこそ道元禅師の仏法の真髄が息吹いているのではないでしょうか。もしそうでなければ道元禅師のいう慕古(いにしえを慕う)という意味は欠落してしまうでしょう。加えて奈良先生は「もう既に国際化の時代は過ぎ去っている。今はグローバリゼーション(地球化)の時代に突入した。」とも提言されております。そのグローバルな立場でこれからの道元禅師の仏法の在り方を模索した場合、我々は道元禅師の仏法を「国際化」する立場よりも、「地球化」された現代社会に向けてどの様なメッセージを発信できるのか、またどの様な仏法の在り方を提言できるのか……、という視点が求められることとなるでしょう。まさに我々宗教者に「未来」を見据えたグローバルな視点が要請される時代に突入したのです。(SZI事務局 秋央文)
「DOGENシンポジウム」ツアーに関する詳細は、SZI事務局(TEL:03-3361-0614飯島)までお問い合わせ下さい。並びに曹洞宗報8月号掲載のツアー広告も併せてご参照下さい。
「禅の旅」同行記
SZI事務局 浅井宣亮
駒澤大学副学長大谷哲夫先生コーディネイトによる「ありのままの中国禅の旅」が、JTB教育旅行東京西支店主催・SOTO禅インターナショナル賛同により、14名の参加者を集め3月14〜19日の日程で催行されました。3月14日午後、成田空港に集合し上海に向かいました。
その日は上海の外国資本によるホテルに宿泊しましたが、中国では通常必要としないチップが必要でした。外国資本を受け入れて変容していく中国に、旅の初日から出会ったような気がしました。
15日には、上海から空路鄭州に行き、バスで高速道路を160qほど走り、洛陽に到着し、白馬寺を見学しました。白馬寺は、「禅の旅」の最初の訪問地にふさわしく、西暦68年に建立された中国最古の仏教寺院です。この地に、天竺から二人の僧が白馬に経文を積んでこの地にやってきて、中国に初めて仏教を伝えたといわれています。境内には、天竺の僧の墓や天王殿、仏殿、大雄宝殿といった伝統的な四合院形式による建築物が並んでいました。
16日は、中国三大石窟の一つである龍門石窟を見学後、バスで少林寺に向かいました。この約60qの道中の間、車内で大谷先生による講話がありましたが、それは、雪の中に立ち左の肘を断ってまでして少林寺の達磨大師に弟子入りした、二祖慧可大師にまつわる話でした。ところで、慧可大師は少林寺に赴く前は、洛陽近郊に住んでいました。つまり、全く同一の道ではないにせよ、今バスでたどっている道は、慧可大師が求道のために歩いた道なのです。参加者一同、学校の教室で聴講するときとはひと味違った感動を覚えました。大谷先生は講話の中で、「道元禅師は、慧可大師の立雪断肘の故事の真偽は重要視せず、このような求道の心意気が重要であるとしていました」と話されましたが、我々も、二祖様の求道心に触れることができたような気がしました。
我々が過去に想いを馳せているうちに、バスは少林寺に到着しました。少林寺は495年に建立され、インドから渡来した初祖達磨大師が、禅宗を伝えた寺として有名です。達磨大師は少林寺四1世、少林禅寺一世であり、少林寺は禅発祥の地です。
しかし現在の少林寺は、禅寺としてではなく少林寺拳法発祥の地として人気を集め、年間120万人位の観光客が訪れます。さながら武術学校の集団のような印象を持ちましたが、実際およそ2万人の若者が武術のスターになるのを夢見て、中国全土から集まっていました。また、少林寺には70名ほどの僧侶がいますが、その中で文僧、つまり日本人にとってのいわゆるお坊さんは20名程度です。後の約50名の僧侶は武術を専門とする武僧であり、世界各地で演武をおこなっています。
今回のツアー参加者は、大谷先生も含め全員が少林寺は初めてであり、中国の細かい情報を日木で人手するのも困難であったためですが、禅寺を期待していた我々にとって、演武場のような少林寺には肩すかしを食ってしまったような気がしました。
また、達磨大師の初祖庵を訪れ、面壁九年の坐禅を体験しようと企画されていましたが、初祖庵に行くには少林寺から徒歩で一日がかりになってしまうことが判明し断念せざるを得ませんでした。そして、慧可大師の二祖庵も少し離れていたため、日程の都合上訪問する余裕はありませんでした。しかし、双眼鏡でかすかに確認できる程の距離にあり、訪れる人もまれで山のふもとにひっそりたたずむ初祖庵は、活気にあふれた少林寺とは異なり、我々の期待を裏切らない場所であるかのようでした。面壁九年の坐禅は、次回の「禅の旅」の楽しみにとっておくことになりました。
17日には、空路、西湖などで有名な杭州へ向かい、まず浄慈寺を訪問しました。浄慈寺は、道元禅師の師にあたる如浄禅師が2度ほど住職をし、禅師の墓があるお寺です。空港から浄慈寺に向かう途中、大谷先生より如浄禅師に関する講話がありました。先生が前回浄慈寺を訪れた20数年前は、文化大革命により建物は破壊され、何もありませんでした。草木を分け入って探した末に、如浄禅師のお墓を見つけることができたということでした。しかし、伽藍は10年ほど年前、仏像は3年ほど前に復興され、今の浄慈寺は30数名の僧侶を抱え、杭州では雲隠寺に次ぐ2番目に大きな寺院となっていました。1986年には、大きな鐘楼も永平寺の協力で建立されました。観光客も多く立ち寄りますが、その理由は如浄禅師の墓ではなく、大きな仏教寺院であるからでした。
寺の裏山に位置するその墓は、一般には公開されていません。我々は仏教教会の許可があったので、如浄禅師の墓を訪れることができ、禅師を偲び墓前で般若心経をお唱えしました。この後、西湖、雲隠寺などを見学し、バスで寧波に向かいました。去年の12月に高速道路が開通したため、現在は2時間半程度の距離ですが、開通以前は、杭州から寧波に行くには7〜8時間はかかったということでした。18日は、天童寺を表敬訪問しました。朝ホテルを出発して、まず道元禅師が入宋され、阿育王寺の老兵座と出会った港に向かいました。現在の寧波は断江省第2の都市であり、ビルが建ち並び朝の通勤ラッシュで混雑していましたが、港には道元禅師人宋紀年碑が建てられていました。これは1998年に、永平寺により造られたものです。道元禅師はこの港から、小白川を舟でさかのぼり天童寺に向かいました。舟では丸一日かかりますが、道路のできた今では、車で一時間程度で天童寺に行くことができます。
途中、道の脇を流れる小白川は二つに分かれ、天童寺と阿育王寺にそれぞれ通じています。また川沿いの小白村からは、天童寺に通じる古くからの参道と松並木が残っていました。そして車中、大谷先牛より、道元禅師が天童寺で学ばれた仏教についての講話がありました。天童寺では、我々を監院老師自ら出迎えてくださいました。監院老師のお話では、現在の天童寺には、約80名の出家者、ボランティアの住み込みの人が同じく80名ほどおり、参拝者の数も年々増加しているということでした。しかし、道元禅師の時代には1400人ほど、文化人革命の前の1949年でも790人ほどの僧がいた大寺院であったようです。
現在の伽藍は300年ほど前の明時代からのものですが、中の仏像は文革で破壊されたため、最近のものでした。ところで、道元禅師が訪れた天童寺は古天童と呼ばれ、現在の場所とは異なります。現在、古天童があった大梅山には何も残っていませんが、2・3人の僧侶がその復興 に努めているそうです。そして監院老師のお話を伺った後、仏殿において大谷先生の導師の下、祖師方に感謝の意を込め般若心経をお唱えしました。最後に記念植樹をし、天童寺を後にしました。この後、揖譲亭、阿育王寺を見学し、陸路上海に向かいました。
旅の最後の夕食時には反省会が開かれ、各自が感想を述べあいました。「スケジュールを見たときは大変そうだと思ったが、非常に充実していて楽しかった」というのが、参加者一同のいつわらざる感想でした。
パイオニアヴアレー禅堂紹介
大学坐禅会のこと(上)
マサチューセッツ州 ヴァレー禅堂堂頭 藤田一照
禅堂から車で一時間くらいの所には州立および私立の大学があわせて5つあります。学生達は無料の循環バスを利用して大学問を行き来し自分の好きな授業をどの大学ででも受講できるようになっています。現在、そのうちの3つの大学で毎週一回の坐禅会を開いています。いずれもその大学で仏教学のコースを教えておられる先生方とのご縁で始まったものです。スミス大学(女子大)は私が渡米した1987年かり、マウントホリヨーク大学(女子大)は1990年から、アモースト大学は1997年から始まり現在にいたっています。お経の読誦、坐禅のやり方の説明、坐禅・経行・坐禅、ディスカッションといった流れで毎回10〜20人くらいが夕方の1時間半の会に集まります。
キャンパス内の寮に住んでいる学生が主ですが一般にも開かれているので近所の住人も参加しています。この辺りには大小さまざまな仏教の瞑想センターやグループが多数活動しており、アメリカのなかでも仏教への関心がとりわけ高い地域のひとっだといえます。チベット仏教、禅あるいはヴィバッサナの熱心な修行者達に出会うことがそう稀ではないようなところなのです。しかし坐禅会にやってくる学生達のなかにはそういった特定のセンターやグループに正式のメンバーとして所属している者はほとんどいません。若い学生の身分としては無理もないことで、彼らの多くは仏教の話を聞いたり坐禅をやってみたいという興味や好奇心から坐禅会に顔を出すのです。とはいえ忙しい学生生活の時間を割いてわざわざ出てくるわけですから、それなりの志を抱いていることは確かです。
3つの大学ともレベルが高く競争の激しい学校なので学生たちは授業にっいていくのにかなり大変な思いをしておりそのためにストレスを感じたり自分を見失ったような状態になったり、キャンパス内の人間関係や自分の将来のことで悩みをかかえている者がいます。また今の社会の在り方や価値観に疑問をもって別な道を模索している者もいます。そういった学年達が安らぎやヒントを求めてやってくるのです。最近になって、自分の親が仏教の修行者でその影響ですでに仏教の知識や修行の経験をもっているような学生も少数ですが来るようになりました。これからはそういう学生が増えてくるかもしれませんが、いまのところ仏教や坐禅に関しては全くの初心者がほとんどです。私は毎回「一期一会」のつもりで会にのぞんでいますが、毎年数人の「常連」ができますし四年間通して参加する者もいます。
私としては坐禅の「種まき」、坐禅への縁っくりができればと思って、理屈はと.もかく坐蒲の上に作法どおりに坐って.もらうこと、坐禅を実地に経験してもらうことを一番大事にしています。「なるほど、こういう世界もあるのか」ということをちらりとでも味わってくれればと願いつつ、週一回ではありますが、静かにただ坐る時間と場所をキャンパス内に確保してきました。若い学生達を相手に彼らが未経験の坐禅を紹介し一緒に坐ることは、私にとっては初心にかえって新鮮な表現をつむぎだすまたとない機会になっています。
聖護寺国際安居リポート
大智禅師ご開山の熊本県菊池市、聖護寺(住職楢崎通元老師)では今夏も恒例の国際安居が修行された。
第8回目となる本年はアメリカ、イタリア、アルゼンチンからそれぞれ2名(男性2名、女性4名)が参加し、瑞応寺僧堂の安居者4名、役寮・講師陣と共に5月10日より7月20日まで如法の僧林生活を送った。首座はこの安居が2度目のイタリア普伝寺出身、妙光尼。書記はアルゼンチン出身5年目の慈仙尼が務めた。
3時半振鈴の後、辺りが明るくなるまで2時間の暁天坐禅で一日が始まる。夜の坐禅、法益、布薩とも皆ランプの灯のもとで粛々と行われた。4カ国語が互いに助け合いながら日々の作務や托鉢を行じている姿や、電気、ガスを使わぬ典座寮から運ばれてくる三徳六味に図らずもその日の当番のお国柄が偲ばれる事を除けば、これが国際安居である事をすっかり忘れてしまうほど、大衆一如の非道がなされていた。古を慕う心が世界中からそこに集まっている。細く急な坂道を登りきり、人里から遥かに離れたその古僧林に限りなく開かれた世界が現成していた。ぶつかった文化の差は無論少なくなかったであろう。修行者がそれを乗り越え、苦しい中で支え合い、学び合うことができたのは、「国際安居ではまず清規を」という故・楢崎一光老師(前住職でこの安居の創始者)の御遺訓が生きているからに違いない。
今年の法益でも「知事清規」を拝読し、とうとう「永平清規」全巻を読み終えた。安居者が晴れやかな笑顔で迎えた解制の7月20日は故・楢崎一光老師の正に4度目のご命日その日であった。(SZI派遣通訳:黒沢博仁記)
秋田新隆師壮行会
静岡県法憧寺東堂である秋田新隆老師(71歳)が、ハワイ島ヒロ大正寺へ開教師として赴任することとなった。
秋田老師は昭和35年にハワイ・カウアイ島禅宗寺で3年半の開教師経験がある。そこでSZIが主催し、6月22日(火)横浜駅前の崎陽軒木店にて壮行会を開くことになった。壮行会にはこれまで秋田老師と苦楽をともにしてきた仲間が駆けつけ、SZIのメンバーを含め20名の参加を得ることができた。SZIからは会長の藤川享胤師のあいさつがあり、その後新潟県法音寺住職の飛田正道老師の乾杯によって会が進められた。会は終始和やかな雰囲気で、秋田老師のお人柄がそのまま表れているようだった。なかでも印象的だったのは秋田老師が壮行会のお礼と開教に対する意気込みを英語でスピーチされたことである。海外開教に対する気迫が静かながらもひしひしと心の奥に伝わってくるスピーチだった。
ハワイと日本、言葉も文化も異なる地ではあるが、仏の縁によって結ばれた同朋としてこれからも共に仏道を成ぜんことをお祈り申し上げます。(SZI事務局 舘盛寛行)
アウシュビッツ・平和祈念リトリートヘのご案内
今年もアウシュビッツにおいて禅ピースメーカオーダー(ZPO)主催の平和祈念リトリートが開催されます。過去のスケジュールを振り返りますと、専門の説明員がっくアウシュビッツ収容所(現在は博物館)見学、ユダヤ教・ラビによる処刑場での供養諷経、収容経験のある方々を交えた全体討論会……、などなど。戦争というものがいかに無意味で、人類にとって深い傷痕を残すものなのか実感できるリトリートになる事でしょう。収容所においては当時収容されていたユダヤ人の方々の顔写真、押収された物品の数々、特筆すべきはそれらの方々の頭髪によって織られた布製品が展示されるなど、一人の僧侶、いや人間として決して見過ごす事のできない内容のものばかりです。
特に我が宗門においては「人権」・「平和」・「環境」というスローガンを掲げている故、参加する事にきっと意義が見い出せるリトリートになり得るでしょう。今年も11月8日から13日までの約6日間、ポーランドのOsweicimを中心に開催される事が決定いたしました。興味のある方は是非SZI事務局(TEL:03-3361-0614飯島)までお問い合わせ下さい。(SZI事務局:秋英文)
カントリー&ウェスタンのタペ
SZIは1993年2月に設立して以来、個性ある活動を通し、宗門における海外布教及び国際交流の一翼を担ってきた。その活動も今年で7年目を迎え、決意も新たに大きな夢に向かう新執行部の門出と、会員相互の親睦を深める目的で6月27日(日)、銀座のライブハウス・ナッシュビルで「カントリー&ウエスタンの夕べ」と銘打たれたミニ・パーティが開催された。
パーティ当日は大雨にもかかわらず50名以上の参加者があり、宗務総長就任直後で大変お忙しい日程の中、大竹明彦老師も躯けつけて頂き、御祝辞を頂いた。パーティはSZI会長藤川享胤師のあいさつ、世田谷区福昌寺住職櫻井乗文老師の乾杯でスタートし、その後は寺本圭一さんやCOUNTRY GENTLEMENの演奏や歌、そしてダンスを楽しんだ。仏教の布教教化は一人の努力でできるものではない。一人一人が互いに協力しあい、手と手を取り合うことによって初めて心が通じ合うのである。今回のパーティには僧侶だけでなく一般の人の参加もあり、共に語り合い、手を取り合って踊ることによって心と心の真のふれあいができたように思う。多くの人から「またこのような会があったら参加したい」との声が聞かれた。「カントリー&ウエスタン」と「仏教」、一見何の関係もないものではあるが、人と人とのふれあいが確かにそこにはあり、そのふれあいの中から海外布教への新たな一歩が踏み出されたように感じた。(SZI事務局:舘盛寛行)