シンポジウム
『今問われている平和と曹洞宗の国際化』

基調講演

曹洞宗宗務所長代理伝道部長 石附周行老師

 ご紹介を戴きました、曹洞宗の伝道部長を務める石附と申します。私は、伝道部長を務める一方、曹洞宗に人権擁護推進本部が設置されており、人権擁護推進本部の本部長は宗務総長でありますが、次長を伝道部長が務めるということで、この場に立たせて戴いております。

 本日、本会におかれましてこのような催しが行われ、しかも総会を控え、本来私どもの宗務総長がここで基調講演をさせて戴くということで当初ご案内を戴いたわけであります。

 今日、大変所用が重なりますものですから、私に代ってということで、パンフレットには写真まで載せて戴き恐縮に存じております。 レジメを用意させて戴きまして、お手元の方にお渡し戴いておりますが、それにそってお話をさせて戴きたいと思います。 最初に私どもいろいろな場面で世界情勢というものを考えなければならないわけですが、その辺のところを振り返ってみたいわけです。それらについて決して深く学ぶわけではございませんし、たまたま岩波のブックレットのシュミット前西ドイツ 首相の冊子がございますが、それらを中心に振り返ってみたいと思います。

 ソ連の崩壊とその世界の現状を考えてみます時に、冷戦構造の終焉によって、世の中が平和に落ち着き、世界の多くの人々にとって、争うことが無くなったというふうに一応考えられると思われます。ところが民族紛争や宗教的対立が非常に多発しているのもこれも大きな現状でございます。例えば、バルカン諸国は非常に多くの民族を抱え、十五に近い民族がそれぞれ隣接した居住区の中で相互に抗争を続けていると言うようなことが新聞等に報道されています。ロシアの領内で考えましても、六つの武力闘争が現在あると言われているわけでございますが、共産主義政権が確立される前から何世紀もの間、少数民族を抑圧してきた事実がございました民族紛争や宗教的対立多発が今日の問題点であるかと思うわけであります。

 次にバプル後の経済情勢を考えなければいけないと思うわけでございますか、不況のもっとも代表的な指標である失業率を考えてみたいと恐います。日本の失業率はまだ2%くらいと言われておりますが、アメリカ、 カナダは7.5%、ECの平均失業率は11%を超えるといわ れておりますし、スペインの失業率は20%、さらに旧東ドイ ツで考えますと40%に近い数字で苦しんでいるという現況で ございます。北米や欧州に比べて日本は、健全な財政状況であ るというふうに数字から言っていいかなと思いますが、しかし、 平和という視点で考えてみます時に、欠かすことのできない世 界情勢を窺うことでございます。

 世界平和でもう一つ考えなければいけないことは、人口の爆 発的な増加ということが大きな間題点であると思います。二〇 世紀末には六〇億に達すると推定されるその人口でありますが、 二〇二〇年には、八〇億、毎年八千万人から一億の人口増がな されているという現状の中にあるわけでございます。貧しい国 から富める国への人口流出が非常に大きく、流出、流入が激し くなることが予想されるわけでございます。人口爆発がもたら す大きなことは、生態系あるいは環境への影響ということが避 けられないわけでございます。

 地球環境の問題、人口爆発がもたらしている最も直接的な影響 は、世界環境保全が不可欠になることであると考えます。日本 やドイツがなお一層環境悪化を阻止するためにいろいろな措置 を講ずるということは経済的な裏づけからも言えるわけであり ますが、しかし、燃料もなくあるいは、木材もなくそのための 伐採をしなければならないというふうな開発途上国の人達に対 して、環境保全のための規則を押しつけるということは非常に 困難な現況も窺えるわけでございます。

 開発途上国の人々が、 例えば、ナイル川流域やバングラディシュなど海抜ゼロの地域 の人達がいわゆる海面の上昇によって、他の地域に移るという 時には、そこに紛争が発生するということではないかと思うわ けであります。

 現在世界的に日本の評価というものは、どのように考えたら よろしいかと考えます時に、第二次世界大戦の間に、或はそれ 以前に日本軍が犯した罪悪に対して何ら謝罪もなかったという ことが日本の信頼関係に大きな問題点を示すわけでございます。 それにつきましては先の細川首相が連立政権を打ち立てた後、 戦後の政権では初めて、自らの過去の戦争に対して罪悪を明瞭 に認めたということは、非常に評価されることかと思います。 日本人が細川政権が謝罪したことについて支持するならば自ら の過ちを認めたことにより、日心は新たな外交政策の機会を開 かれたというふうに考えてよろしいかと思うわけでございます。

 本日のテーマのもう一つの「国際化」ということにつきま して考えるわけでございますが、実は、その「国際化」その「化」 は「ばける」でございますが、これについてこのシンポジウム を前にして私もいろいろ考えたわけでございますが、「国際化」 ということについては、辞書を引いてもなかなか出てこないわ けであります。ところが、幸いにして私どもの曹洞宗の人権本 部がブックレットとして出させて戴きました、井桁先生、本日 のシンポジストでありますが、先生の講演を記録したもので、 私が学んだわけでございますが、「国際化」は国境を前提にした 捉え方ではなかろうか。その国境そのものが近代的観念の所産 であるのではないか。「国際化」とは、「他者つまり異文化と対 等な関係を結んでいることである」というふうに明快に示され ておりまして、私も確かにそうであろうというふうに考えます。 私達の社会を、身のまわりを考えますと、ものや情報や人的 交流ですでに国際化している。

 例えば和風の食事とか洋風の何かとか毎日の家庭の中に入って いるわけでございますが、そういうふうに国際化というものが 意識しないうちにされていると考えられることでございます。 その山で国際化を考えるときに、異質な人間は排除するというふ うな考え方、或は異質な文化は排除して、そして、そこに進ん でいくという考え方は、これは当たらないのではないかと思い ます。また、外からの批判、或は、要求に応えなければ世界的 に孤立するというふうな発言をよく耳にします。他音に対する 態度が迎合か反発しかないというふうな考え方からすると、こ れは当たらないのではないかと思うわけでございます。私ども、 国際化という表現をしてくるときにどうしても元来、欧米化を していくということが非常に多かったかと思うわけですが、や はり、今日、アジア、アフリカなどの第三世界の人々を含めた 世界の見取図の中でこれを考えるということが大切なことであ ると思います。

 「今問われている平和」をめぐってでございますが、平和に ついての論議は、これは耳に新しいものとしていることよりも、 私ども曹洞宗の宗内でのいろんな動きを少し振り返ってお話を 進めさせて戴きたいと思います。 平和、或は戦争という問題は、確かに五〇年前の戦争を指すこ とは私どもある程度時代を経たものについては当然に思うわけ ですが、しかし、小学生や中学生が戦争という言葉だけをしめす と、湾岸戦争というふうなことが一番身近に言われるとよく言 われますが、その湾岸戦争を契機としまして、曹洞宗もこの平 和についてはいろいろな形でいろんな文章で、表現されてきて いるわけでございます。その平和を考えるときに、日本は国内 外からの「一国平和主義」というふうなことでは世界的に孤立 するという批判がずっと湾岸戦争をはさんで強かったであろう と思います。

 その時によく使われた言葉に「国際貢献」「国際 協力」の名のもとに、多国籍軍というふうに表現されまして、 多額の援助金、四〇億ドル、九〇億ドルをまああの支出したと いうあの報道は、まだ耳に新しいわけでございます。もちろん その時に自衛隊がペルシャ湾に派遣されるというふうなことも ございまして、日本国の憲法を振り返りますときに、この前文 のところでございますが、本日の資料のところにも載せてござ いますが、「いずれの国家も自国のことのみに専念して、他国 を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的な ものであり、この法則に従ふことは、自国の王権を維持し、他 国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本 国民は、国家の名誉にかけ全力をあげて、この崇高な理想と目 的達成することを誓ふ」というこの全文をまあもう一遍考えま すときに、やはり、日本のとるべき平和、歩むべき道が開けて くるのではないかと思うわけでございます。

 それで先程の湾岸戦争のときの全日本仏教会か出されました その平和アピールの文章でござ いますが、資料の中にも入れさ せて戴いておりますけれども、 その中の中程で、「釈尊以来、 私たち仏教徒の基本的立場は、 一貫して平和主義でありました。 戦争は最大の暴力であり、無辜 の人々に犠牲を強いる愚行その ものだからです。いかなる理由 であれ自己を正当化して、かけ がえのない生命を武力で奪いと ることは、何人にも絶対に許さ れることではありません。この 厳粛なる真実こそ平和に生きよ うとするすべての人々にとって の燈火であり、依るべであると 私たちは教えられてきました。 主張や利害の対立は、武器によっ てではなく、平和的な話合いに よって解決されなければならな いのです。」

 当時、一九九一年一月十七日 に勃発致しました湾岸危機のと きに、一九九一年ニ月六日付け で全日本仏教会が出された文章 の一部であるわけです。その折、 私ども曹洞宗の当時の宗務総長 は蔵山総長でございましたが、 曹洞宗が発行しております「禅 の友」の中に、これは無着成恭 先生があの蔵山総長に当時電話 でインタビューしたその文章が 「禅の友」、これは平成三年二月 号に載っておるところがござい ます。このところをちょっと読 ませて戴きますが、「もちろん 平和憲法は世界に誇るべき憲法 です。

 だからむしろ、日本国憲法ではなくて世界憲法とすべき だ。でも大事なことは平和憲法 だから、戦争は悪いというのな ら世界正義のため、世界平和の ため戦争は許されるというよう な憲法に改正されたら、戦争を してもよいことになる。憲法が 変われば悪かったことが善かっ たことになる。国家の法律を基 準として考えれば、善悪の判断 は法律が変われば変わるという ことだ。しかし、仏法では、断 固として戦争はいけないと教え ている。だから、曹洞宗として は憲法はどうあろうと仏法の立 場から戦争は反対であると答え るしかないでしょうね」

 いわゆる仏法の立場から戦争は ダメだという答え以外にないで しょうという蔵山総長のインタ ビューの答えは自分の立場を非 常によく明確にしたものではな かったか、やはり仏法者はこの 自分の立場をきちっといつも持 つということが大切であります。

 私どもの曹洞宗にかかわる教 えは、道元禅師様、或は瑩山禅 師様の教えに沿うわけでござい ますけれども、道元禅師様の 「宝慶記」の中のお示しの中で ございますが、「坐禅の中にお いて衆生を忘れず衆生を捨てず、 ないし昆中にまでも常に慈念を 給して、誓って済度せんことを 願いあらゆる功徳を一切に廻ら し向けるなり。」というふうに、 あらゆる功徳を一切に廻らすと いう立場のお示しを学ぶことが できます。

 或は「正法眼蔵」の 「随聞記」でございますが、「衆 生にはたとえ仏の全体を持って あたるとも仏智にかなうべし。 仏の意にかなうべし。また日く、 われこの罪によりて悪趣に出す べくともただ衆生の飢えを救う べし」というふうなお示しを見 るわけでございます。世界の動 向、或は基本的な仏教徒として の平和に対する、或は行いに対 するお示しではないかと受け止 めるところでございます。

 最後に、曹洞宗の今までのい わゆる平和、或は国際化にふれ る部分のところをご報告させて 戴きたいと思います。 最初に曹洞宗の戦後五〇年に まで至る今までの若干のことで はございますけれど、「行持軌 範」の改訂というものを曹洞宗 は進めて参りました。これは一 九八四年三月から八七年にわたっ ての改正でございますけれども、 その中で特に大きな視点として 取り上げた一つの中に、軍国主 義や天皇制などに関する見直し を実施しました。これは解説文 のところの一つでございますけ れども、その趣旨の中に「宗教 が人類の文化現象であり、人間 の歴史とともに息吹いてきた跡 形を考えていくとき、技術革新 や経済社会組織の進歩とともに、 変化せざるをえなかった。 つまり、仏陀が人間平等を説き、社 会的な階級差別を認めていなかっ たにもかかわらず、皇祖皇宗の 意志にもとづく天皇王権主義に 迎合してきた時代を反省し、宗 門が今日、日本社会の中で置か れている立場をしっかり捉えな ければならない」これはプック レットの「宗教儀礼と差別」の 中の一文でございますけれども、 このような部分を一つの視点と して、「行持軌範」が改正され たことでございました。

 或は、最近のことでは、この 五月十七、十八日でございます が、全国梅花流奉詠大会が、札 幌の「月寒グリーンドーム」で 開催されたわけでございます。 その時に、新しい曲としまして 「平和祈念御和讃」が発表され ました。これも資料のコピーの 中に入れさせていただいており ますが、これは新曲ということ でございましたが、それ以前に 奉詠禁止、いわゆるお唱えする ことが禁止された「戦役精霊供 養御和讃」がございました。

 ところがその「戦没精霊供養御和 讃」はその前の名前が「英霊供 養御和讃」でございまして、 「英霊」は特定の方のみにあて はめて考えられる視点から「戦 没精霊」へ、戦没精霊もこの度 の平和を祈るという曲に道をた どった梅花流の新しい曲の発表 もなされました。つまり、曹洞 宗ではこの時を得ながら、そし て振り返りながら新しい国際化 の道を歩んできているというふ うにお考え戴ければと存じます。

 資料の中に、宗務総長が新曲 で述べられました追悼の言葉も 入れさせて戴いておりますが、 そのちょうど中頃のところで、 「わが国だけではなく、アジア 諸国やその他各国の犠牲者たち の声なき叫びがあったのであり ます。今、目を閉じてその一点 に思いをこらせば、この胸にせ き上げる慚愧と悲嘆、哀惜と追 慕の念はまさにこれを言い表す べき言葉もありません・・・」。 このような経過で新しい曲が出 されてきたわけでございます。 時を少しさかのぼりますが、 「曹洞宗海外開教伝道史」の回 収もとり行われたわけでござい まして、これは本日資料でお渡 しさせて戴きました最初のとこ ろの懺謝文なども曹洞宗の、い わゆる平和に対する反省と、そ れから今後の指針を述べさせて 戴いたということで、ご参考に して戴きたいと思います。

 以上、 曹洞宗の平和、或は長い歴史の 中において振り返るべきものを 取り上げて、そして取り組んで いるところを報告申し上げさせ て戴いたわけでございますが、 最後に曹洞宗が、今日、教化部 の中に国際課を設け、そして曹 洞宗の国際にかかわる窓口を設 けているわけでございます。こ れは五年前になるかと思います が、国際課が開設されましたが、 なかなか期待にそえる仕事になっ ていかないわけでございまして、 まあその中でも細かなことでご ざいますが、海外の開教師、伝 道師の方々にお集り戴いて夏の 合宿を執り行って内外の問題を 論議させて戴いているというふ うなことを進めさせて戴いてい るところでございます。

 国際課が設けられて、異文化 に対して対等な関係を結んでい くというところを基本的に考え て参りますと、なかなか曹洞宗 の体質の中で真の国際化という 部門は、系統だってはいかない のが現状ではないか、よく開教 師の先生方に言われるのですが、 凧を上げて凧の糸が切れたまま にするのが曹洞宗なのではない かと言われますが、その人の力 量の中ではばたいて戴いている 現状であるかと思っております。

 わたくしも実は国際というこ とについて何ら経験も、或は考 えも深めて参っていなかったわ けでございますが、ささやかで はございますがタイ国のワット パクナムというお寺で一年間だ けではございますが、部派仏教 の得度を受けまして、現地の比 丘の方々と一緒に過ごしたこと を思い起こしました。一年過ぎ た後に、ビルマを経て、カンポ ジアで一ヵ月半ぐらい一人でずっと歩き、バス に乗ったり、或いはトラックに 乗せてもらったりして、プノン ペンからシェムリアップまで旅 をしました。

 その時に一年間で すけれどもタイの小乗仏教とさ れる生活をして、カンボジアを ずっと歩いたときに、いわゆる 修行を行なっているお寺さんに 泊めてもらい、パーリ語による お経とか行持が少しはわかって、 それから日常生活の風習とか、 比丘の朝どうするとか、食事は どうするとか、お金はどうだか ということがわかっていて、非 常にカンポジアでうまく生活と いいましょうか、ひとり旅がで きたように思います。そう考え ますと、やはり、相手の中に入っ て、一緒に生活し、そして学ん でいくという、やはり相手の文 化、相手の考え、相手の教えを 如何に深く理解できるかという ことが、国際化に大事なことだっ たのではなかろうかと、今になっ て思い起こしたわけでございま す。

 本日、大変大きなテーマを戴 きまして、そして、一応総長に 代って申し上げさせて戴きまし たけれど、充分でないことは最 初から覚悟しておりましたが、 以上時間になり、一応責務を果 たさせて戴いたということにさ せて戴きたいと思います。ご静 聴戴きましてありかとうござい ました。

田上

 皆様こんにちは。司会の方か らご紹介がありましたように四 人の先生方に、本日、「今問わ れている平和と曹洞宗の国際化」 というシンポジウムのテーマに ついてお話を戴くことになって おります。このテーマに関しま して、それぞれのご専門の立場 から、そして、さらにご自身の 現場における経験を通してお話 を戴けることになっております。

 平和と言うようなことが一体 どういうことであるのか、つま り戦争と平和と言って対語とし てこの言葉が使われますけれど も、果たして戦争がなくなれば 平和なのかということが、まず 問われなければなりません。戦 争がなければ平和であるという 考え方が正しいのかどうか、そ の辺についても今日のパネリス トの中からまたお話が戴けるも のと思います。それから、曹洞 宗が、今日海外に多くの別院を 持っておりまして、多くの開教 師の方、また、お師家様方が海 外に出向きまして、曹洞宗、あ るいは禅の教えを広められてお られますが、それぞれの国にお いて、ご苦心をなさっておられ ます。そういう様々な国に、或 は風土とか、或は文化言語が違 うような所で、この禅はどのよ うにして今後布教すべきなのか。

 国際化のための宗門のあり方、 あるいは理念は何なのか。本日 こういうようなことについても お話戴けるものと思っておりま す。それではこれからお一人づ つ先生方にお話を戴くことに致 します。まず、駒沢大学教授・ 奈良康明先生からお願い致しま す。

奈良

 一番最初に私が申し上げると いうことでございます。実は事 務局の方から、釈尊の平和論、 ということは仏教の平和論の原 点、と言うような形で釈尊に関 して話して欲しい、というリク エストでした。

 私自身、原始仏典を中心に釈 尊の教えをいろいろ勉強してお りますけれども、基本的には、 私は、二五〇〇年前に生きてお られた釈尊の説かれた教え、す なわち仏典のことばは主語を一 人称に代えまして、その教えを 「私」がどのように受け止める かと考え、そしてそれを生活実 践に移していくことが仏教の現 代化である、と理解しておりま す。そして現代に生きている私 が、国際的な面からそれを考え 実践していくことが仏教の国際 化なんだと、考えております。 国際化というものを、具体的に、 私ども個人として、或は教団と してどうするかという、そこに 行く前段階として、そういうふ うに受け止める釈尊の教えの現 代化、そして国際化というもの があってもよるしいかろう、と いうふうに私は思っております。

 原始仏典を通じまして、釈尊 の嘆きの言葉があるんですね。 それを読むたびに、じゃお前さ ん、つまり私は、それをどう受 け止めるのかといつも考えるん ですが、こういうことばなんで す。「殺そうとして争っている 人々を見るがいい。武器に頼ろ うとするから恐怖が生じる。そ ういう人を見て私は大変にショッ クを受けた。水が干上がってい る所にいる魚のように、人々が 震え、争いあっているのを見て、 私の心に戦慄が走り、恐怖が生 じた」。別に難しいことを言っ ているんじゃありません。私自 身、世界の今の状況を見て、ど の程度心に恐怖が生じているの かな、ということが私なりの反 省としてございます。

 今コーディ ネーターの田上先生から戦争が ないのが平和なのかという問題 の投げかけがございました。戦 争があるかないかと同時に、もっ と基本的に、お互いの人間関係 の不和、或は圧迫、そうしたも のの中から、やはり恐怖が生じ ている。それは争いあっている ところから来る人間の恐さのよ うなもの、そうしたものを釈尊 が見て心に恐怖が生じ、戦慄が 生じたというのですね。戦争だ けじゃないんです。

 実は釈尊の時代は、ある意味 では、今日の状況と非常に似て いると思います。詳しく申し上 げる時間はないんですけれど、 社会・経済・政治状況の発展にと もないまして、価値観がガラガ ラ変わってきた時代なんですね。 経済が発展をいたしまして、も ちろん現在とは比べものになり ませんけれども、従来にない都 会の生活というものができ、資 本家というクラスができ、当時 として非常に豊かな生活可能に なって、いわば物欲に走る傾向 が多分に出ていた時代です。同 時に政治的にも非常に乱れてい る、戦国時代っていう程じゃな いんですけれど、しょっちゅう 戦争が絶えなかった。世の中の 乱れも少なくない。

 そうした状 況の中に、釈尊は出家者として、 なんていうことだろう、みんな が苦しんでいるじゃないかと、 感じていたに違いないし、そう したことの一端が、殺そうとし て、争っている人々の姿を見て、 水の干上っていく所にいる魚の ように思い、心に戦慄が走った と言っているんですね。

 こうしたことを現代の私ども はどう受け止めたらいいのか。 やはり現代の世界の状況、様々 な不満足な状況を、宗教者の痛 みとして私どもが分かちあって いく、少なくとも自分の問題と して、その痛みを痛みとして受 け止めていくことが、私どもと して基本的なことだろうと思い ます。釈尊という方もまさにそ ういう所から発想し、教えを説 いていた方だろうと私は思うの ですね。

 それをもう少し具体的にいい ますとですね、こういう文章が あるんです。実はこれ先程、石 附部長老師のお話のプリントに も、宗報の「仏典祖録の言葉」 の第一回にもでた言葉です。そ の同じ言葉を私も持ってきてい るんですけれど、こういう文章 なんですね。

 「すべてのものは暴力におびえ ている。すべてのものは死をお それている。(他を)自分の身 にひきあてて、殺してはならな い。殺させてはならない。」も う一つ続きまして、「すべての ものは暴力におびえている。す べての(生き物)にとって生命 は愛しい。(他を)自分の身に ひきあてて、殺してはならない。 殺させてはならない。」と。こ こに暴力という言葉があります けれども、原語はDandaと いう言葉で「棒」の意味でござ います。それから転じて武器の 意味でございます。ですから物 理的な意味での暴力を言ってい るのですけれども、これを現在 私どもが受け止める時には、もっ と心理的な、社会的な、経済的 な、様々な形での暴力を考えて も良かろうと思うんですね。

 或は差別というものも、暴力の一 つだろうと私は思います。そし て、すべてのものは暴力におび えている、ということは実感が ございますですよね。暴力は皆、 恐いんです。そして、すべての ものは死を恐れている。ですか ら他を自分の身にひきあてて殺 してはならない、殺させてはな らない。「他を自分の身にひき あてて」というのが一つのポイ ントかと思います。自分がいや なものは他人様もいやなんだし、 そうしますと、他人様が苦しみ 恐怖に慄いているのを自分の身 にひきあてて考えてみる。これ が釈尊の、仏教の、慈悲の原点 と言ってもよろしかろうと私は 考えております。

 「すべての生き物にとって生命は愛しい。自 分の身にひきあてて、殺しては ならない。殺させてはならない。」 これが釈尊の教えた慈悲の原点 であると同時に、仏教の平和論 の原点でもあろうかと私は理解 をしているんであります。 この「自分の身にひきあてて」 というのは、私は非常に重要な ことだと思うんですね。先程、 差別の話もございましたが、差 別も同様だと思うんです。何が 差別か、いろいろな定義の仕方 があるかもしれませんが、自分 の身にひきあてて自分が傷つく ようなことが差別だろうと私は みて、考えています。

 特に、自 分自身では変えようのないよう な状況、それに対して悪口を言 われても、どうにも逃げようが ない状況というものはあります。 身体障害などはその一例でしょ う。自分は何でもないから平気 で言うんですけれども、自分が 当事者で、それを自分で言われ たらどう感じるのかということ が、差別を考えていく原点であ ろうかと思います。釈尊の教え もそういうふうに考えてよろし いんじゃないかと思います。

 時間もないのですけれども、こう した社会の様々な困惑した状況 に心の痛みを持ち続け、分かち あい、そして他を自分の身にひ きあてて考えていく、そこに私 ども個人としても、そして教団 としても、できるところからそ れを是正する方向で努力してい く。それが私どもが具体的な実 践に移る原点だろうと思います。 先程際の慈悲の原点だと申しあ げました、釈尊、そしてその他 の祖師方も教えておられるので すが、訓練をして慈悲が備わっ たら、他人様のために何かをし ようというのは全く発想が逆で ございます。

 慈悲は訓練するも のだと言う言葉がございます。 他を自分の身にひきあててとい うことを基本におきながら、そ して心の痛みを感じながら、自 分のできるところから、そうい う不都合なことを除き是正して いくように祈り、その実践に努 力していく。そこに慈悲の実践 があり、慈悲の訓練がある。こ うしたプロセスこそが大切なも のであろうと、こんなふうに考 えております。

 仏教の平和論ということで、 こんな事を考えております。時 間が非常に短こうございます。 言い足りない点ございまして、 また後でご質問など受けながら 補足させて戴きたいと思います。 ありがとうございました。

田上

 大変時間が短いものですから、 意を尽くすことのできないとい うところが先生方にはあると思 いますが、10分という限られ た時間でございますのでのち程、 ご質問等がございました時に、 意を尽せなかったところを補っ て戴ければと思います。それで は、ニ番目にご発表戴きますの は、井桁碧先生でございます。

 井桁先生からは平和をどのよう にして実現したいのか。つまり、 平和の概念というものをもう少 し考え直してみたらどうかと言 うことで非常にユニークな、そ して新しいご意見も聞かれるよ うでございます。どうぞよろし くお願いいたします。

井桁

 それでは発表させて戴きます。 私は今日、発表のテーマを「私 たちは、どのような平和を実現 したいのか」という、そういう テーマでお話しようというふう に考えて準備してきましたので、 その線に沿ってお話を致します。

 先程、田上先生がおっしゃいま したように「平和」とは一般に 「戦争」の対概念といいますか、 「戦争と平和」というふうにセッ トで語られることが多いわけで す。そこでは「戦争のない状態」 というのが「平和」であると、 一般的にはそのように捉えられ ているのではないでしょうか。

 ご承知の通り今年は一九九四年、 明年は一九九五年です。敗戦後 五〇年という、そういう時期に 当たっているわけで、特に平和 についてあらためて考え直すべ き時だというふうに私は考えま す。このことを今申し上げまし たのは、敗戦後この50年間、 平和について考えるという時に、 まずもってその出発点に「戦争 状態」があったわけですから、 そういう状態でないことを、そ れが平和というふうに考えられ ても、まあ無理はなかっただろ うと思います。しかし、それだ けであるのか、戦争が行なわれ ていなければ、もっと言います と、「自分の身の周りで、直接 身の周りで戦争が行なわれてい なければ平和だ」と言って良い のかと、考えるのです。

 今日、「国際的」に、或は 「国際法」上といっても言いか もしれませんが、「国際的」に 合意されていると考えられる 「平和」は「戦争のない状態」、 というふうにも捉えられている わけです。しかし、この戦争の ない状態と言いましたときのそ の戦争をするものはだれかとい う、これで、一つの結論めいた 言い方になってしまいますが、 戦争の主体は国家だということ を確認しておきたいのです。国 が戦争をするのだと、個人個人 のなぐりあいというのは、もち ろん暴力で、これを肯定するこ とは私はもちろん致しませんけ れども、これは「戦争」ではこ こで今日、戦争というテーマで 論じるとしたら、国家が主体と して行なわれるもの、それが戦 争である。それを前提にしてお ります。

 逆に言いますと、「平 和」というのは、国家の間に勢 力の均衡があって、あるいは協 定が結ばれていて、戦争が行な われていない状態、こういうふ うに考えられています。その延 長上に紛争、あるいはその対立 を公正に解決し、戦争の勃発を 未然に防ぐ、平和を維持する組 織として、たとえば国際連合、 あるいは国際連盟が作られたと いう、こういう経緯があります。

 要するにこうした考え方は、 近代国家が成立して以後の戦争 とその平和の捉え方を、私は古 代からの戦争と平和についての 考え方というものをここで全部 フォローするのはできませんの で、今申し上げたように近代に 限って捉えてみたわけです。ま た少し歴史的に捉え返しますと、 「平和」の概念は、かなり文化 によって異なるところがあるよ うです。古代ユダヤ教における、 そのまま日本語に訳しますと一 応平和に該当すると思われる言 葉に「シャローム」という言葉 があります。

 これは単に戦争が ない状態を意味するのではなく、 「幸福な状態」であるとか、「繁 栄している」とか、「安全な状 態」とか、そういうことを意味 しております。あるいは、さら にここには、「神の意志」、「神 意による正義の実現」という意 味も含まれていると考えられて いたようです。また、ギリシャ 語の「エイレーネ」という言葉 はこれも平和を概念するようで すか、「秩序とまとまりのある 状態」を意味し、さらにローマ における「パックス」。パック ス・ロマーナというような言い 方がありますが、要するにロー マ帝国によるし和の実現という、 そういう意味を持っている言葉 です。 これは、しばしば征服に よって実現された、つまりロー マ帝国によって征服された地域 の戦争のない秩序のある状態、 このように考える傾向が強かっ たようです。

 しかしながらインドにおける 「シャンティー」という言葉は、 乱れることのない心の状態とい う概念が強かった。これは間違っ ていましたら、後で両先生に指 摘して戴きたいと思いますが。 私が調べました本にはこのよう に書かれてありました。さらに 中国における、漢字でかいて、 私たちは日本語読みをするわけ ですが・・・「平和」という言葉、 概念は心の状態に力点を置いて いるようです。さらに政治的な 状態をも平和と呼ぶことがあり ます。

 日本における「平和」も 中国的な意味を多く継承してい る、とこう言うふうにいって良 いだろうと思います。 先程も言いましたように、戦争がある状 態、これは平和と言うふうには 到底言い難いわけですけれども、 しかしながら、まあ平和という ものはそれだけではないという ふうに考えられてきたと、歴史 的にも言えそうです。

 で、ここでご紹介したいのは 「消極的な平和」とそれから 「積極的な平和」というその平 和の捉え方です。これは政治学、 あるいは国際法関係の領域など で提出されている概念の一つで すが、あまりまだ一般化はして いないように思います。この 「消極的な平和」というのは、 まさにまずもって戦争のない状 態をさす。一方、「積極的な平 和」というのは「構造的な暴力」 のない状態をさす。

 つまり、 「消極的な平和」が実現されて いても、「構造的な暴力」が存 在するかぎり積極的な意味では 平和は実現されていないとみな す、こういうことをさす。「積 極的な平和」というのは耳慣れ ない言葉だと思いますので、そ れを説明して「構造的な暴力」 ということを言うわけですが、 「構造的な暴力」とは、さらに くだいて申しますと、飢餓であ るとか、貧困、差別、抑圧など。

 社会的に政治制度であるとか、 慣習であるとか、ものの考え方 であるとかあらゆる領域でその 社会が内在化している、意識さ れているといないとにかかわら ず、あるいは両方を含む差別、 そうした差別が構造化されてい る状態、これがあるかぎり「積 極的な平和」は実現されていな い。こういう考え方です。

 こういう考え方からしますと、 おそらく人類の歴史が始まって 以来、真の意味での「積極的な 平和」が実現されたことは、お そらくただの一度もなかっただ ろうと言わざるをえません。こ の積極的なその平和を実現するに は、構造的な暴力をまず見出し ていく必要があります。しかし、 どこにその「構造的暴力」があ るのかと、先程、奈良先生がおっ しゃいましたように、わが身に ひきあてて考えても、なかなか わかりにくい。わが身にひきあ ててもわかりにくいというのは、 たとえば、セクシャル・ハラス メントのことなど性差別のこと を考えていかれるなら、多少お わかりになるかと思います。

 ただ、私がわかりにくいというこ とを男だからわらないとか、女 でなければわからないと言うべ きではないというふうに考えて おります。私は人間というもの は他者を思う心という、或は思 考する能力と言っても言いでしょ うし、想像力と言ってもよるし いでしょう、他者のことを考え る力を持っていると、そういう 存在だと思っております。わが 身にひきあてて、他者のことを 考えることをもって、「構造的 な暴力」というのがどこにある のか、毎日毎日考え続けていく べきだと思っているわけです。

 時間がなくなってきましたが、 もう一つ申し上げたいのは、戦 争という先程申し上げたように、 少なくとも近現代においては、 国家の主張する「正義のための 戦争」、これが何度も何度も繰 り返され、2回にわたって世界 大戦が行われたということであ ります。つまり、「平和」とい うのは国家間の勢力の均衡、世 界秩序について、維持すること 以外にはなかったのではないか と思います。

 しかも、現代戦争 の特徴、世界大戦化した戦争の 特徴というのは、一般的に総力 戦だったことにあります。全面 戦争だからこそ世界大戦という ことになったわけですが、ここ では国家側の大きな制度的変換 がありまして、傭兵制から徴兵 制に変わっています。

 現在の日本は徴兵制をとらな いわけでありますけれど−軍隊 のないことになっておりますの で、徴兵制はとれませんが−国 家が全体的にかかわる、存亡に かかわるという戦争においては、 女も子供も単に被害者であると 言い切れない。まさに、構造的 な国家の勢力のその構造の中に 組み込まれ加害者にもなってし まうということになります。私 は敗戦直後の生まれであります が、おそらく私がそれ以前に生 まれていたら、明らかにその構 造的な暴力に組み込まれた人間 として、たとえその戦争の被害 を一方で受けようと、私は女で すから、日本の社会の中で性差 別を受けている差別者であると 同時に他の民族、他の社会の人々 に対しては、明らかに差別に加担 する立場に置かれてしまう。 したがって、父であろうと子供 であろうと、直接手を下そうと 下すまいと、構造的暴力に組み 込まれてしまう。こういう問題 があるわけです。

 今日、皆さんに申し上げたい ことは、このシンポジウムを開 かれたのは曹洞宗の『インター ナショナル』という、そのイン ターナショナルを主旨としてつ くられた会合のシンポジウムで あるわけですけれども、私はど うかその「インター」のところ に力点を、強調のためのポチ点 を打つのでしたらそちらの所に 打っていただきたいということ なのです。従来『インターナショ ナル』と言われるときには、ほ とんど必ずと言っていい程「N ATION」のほうに力点が置 かれていたと思うのです。

 日本では「国際連合」という 風に、「国際」と使いますがこ の原語は「UNITEDNATION」です。国連憲章の 内容に、私は、太いに賛同する。 しかし、日本では、学校で習っ ているはずなのに、意識的に強 調されてこなかった要素に注目 していただきたいのです。『国 際連合憲章』の前文は、「われ ら連合国の人民は・・・」という書 き出しで始まっています。これ は日本が連合国に敗戦したその ような状況においてつくられた 国家間の連合であったことが明 示されている。そこに出発点を もっているわけで、ここからは 国家の枠組みを超えるという発 想は、直接的には導き出しにく いところがあるのです。

 しかし、 私はここであえて、一国家」を 越えること、近現代世界の戦争 の主体である「国家」を相対比 することの必要性を強調したい のです。ここは少なくとも仏教 徒の集まりで仏教徒であること を根幹にしてつくられた会合で あり、シンポジワムであります。

 私自身も自覚的な仏教徒である と思っており、仏教徒として 「国家」を越えることができな いかと考えています。少なくと も今日近代国家の枠組みを前提 にして行動をせざるをえない。 現代に生きる私たちは国の外へ 出れば当然のこと、この社会の 中で生活し、生きていく場台、 国家を前提として生きていかざ るを得ないということがありま すが、「国家を絶対視しない思 想」を私は仏教徒として提示し ていけるだろうと考えておりま す。

 不十分ではありますが、ま た、ご質問がありますればお答 えするかたちで申しあげたいと 思います。ありがとうございま した。

田上

 ありがとうございました。 『SOTO禅インターナショナ ル』のこの会の名前、そのもの に対しても一つの考え直しを提 言していただきました。

 つづいてドイツ・ミュンヘンの坐禅道 場「直心庵」の主任講師であり ます、中川正寿先生にお話を頂 戴いたします。

中川

 私達の坐禅道場「直心庵」は、 ドイツ南部バイエルンの州部、 ミュンヘンにあります。私は、 この道場で参禅会を指導するば かりでなく、しばしばドイツ各 地に出かけ、おもに仏教ゼミナー ル・センターでゼミとしての接 心をつとめています。

 その一つとしてここ数年来、 定期的にオーストリアの山間部 チロル地方にあるセンターにも 出かけています。そこは牛小屋 を禅堂に改築したものですが、 眼前には万年雪をたたえるアル プスの高峰がそびえ、眼下には 雲わき上がる谷合で冬はスキー 客で賑わう小さな村があります。

 ところで、この山並みの向こう は旧ユーゴスラビアであり、皆 様ご存じの通り、ただ今戦争状 態が続いています。このセンター の周囲の自然の素晴らしさに包 まれて、日常の雑踏より離れて 一端坐禅して静まれば、山の向 こうから砲弾が聞こえるかと錯 覚するほどの近さです。日頃テ レビのニュースなどで生命から から生き延びてきた難民が、オー ストリアやドイツの国境で再び 戦争地域に送り返されることも 知っています。

 今、ヨーロッパの中でもドイ ツにおりますと、この旧ユーゴ スラビアの戦争ばかりでなく、 ソ連邦の崩壊による旧共産圏、 東ヨーロッパの危機が日常肌身 に感じられます。 アフリカの飢餓も隣の国の話 です。さらに地理的には遠く離 れている北朝鮮の核の問題も、 本来隣の国であるこの日本にあ るよりもはるかにひしひしと感 じます。

 地球環境問題を含め様々な分 野で大きな問題のるつぼと化し ているこの地球上で、自分が今 ここで生を営んでいる、生活し ている、あるいは、今坐禅して いるこの地面、この一点が、こ の全世界の危機が収斂して渦巻 くその真中の中心の一点として 否応なく感ぜられます。この 度日本に帰国して、出会う人ご とによく話すことですが、ドイ ツに生活していると、現在地球 上に起こっているあらゆる問題 が、自分たちの日常生活の中で の自分自らの問題として感じら れます。当然「どうすればよい のだろうう?解決の道はどこに あるのだろう?この自分は一 体何ができるのだろう?」とい う問いが切実です。

 たとえば、先程の北朝鮮の問 題も、またロシアの問題も、そ れこそドイツの隣の国の危機状 況として感ぜられます。ところ が日本に帰ってくると、北朝鮮 の核の問題は、まさに日本にお ればこそ現実に隣の国のことで あるのに、ドイツにいるときと は逆に私にはまるで北朝鮮は日 本から遠く離れた地球の裏側の 国のできごとのように感ぜられ、 日本は関係ない、日本には何も 起こりえない、どこか遠い国の 話しのごとく感ぜられます。

 これは個々人のことではなく日本 という社会全体の雰囲気がそう なのだと思います。私は日本と ドイツをよく往復しますので、 この二つの国の社会全体として のこうした問題についての受け 止め方の違いを自分のうちに実 感しています。

 この度のシンポジウムのテー マについて、私なりに申し上げ させて戴きますと、「今問われ ている平和と曹洞宗の国際化」 というテーマですが、私も勿論 日本にいて日本風にとらえれば その意味がよくわかります。し かし、これは日本社会にあって の視点です。

 一方、統一ドイツに生活をし、 チェルノプイリ原発事故の放射 能を現地以外では一番受けたミュ ンヘンに住み、そして、ついこ の間まで現代ヨーロッパの国で は起こりえないと信じられてい た残虐非道な殺しあいを繰り返 している旧ユーゴスラビヤ、ま た暗黒の中世の繰り返しかと思 われるユダヤ人差別が現に起こっ ているロシアにほど遠からぬと ころで坐禅をしているものとし ては、このシンポジウムのこの テーマのたて方自体が、現在地 球上で苦悩と悲惨の真っ只中に ある当事者としての生活現場の 緊張からあまりに距離がありま す。

 虐殺、強姦、憎悪、飢餓、 悪病、貧困、人種差別、民族間 の戦争・・・そこには「曹洞宗」 もなく、ましてや「国際化」も なく、また理想としてイメージ とされる「平和」もなく、ただこ の生身のこのいのち、また我家 族の一人一人の生き死にであり ます。

 「この悲惨な世界現実の真っ只 中で、このような坐禅をしてい ていいのだろうか、衣食住足り て一応の安全圏の中で生命の危 険にさらされることなく何百年 来の教義を立て看板として安穏 と坐禅していていいのだろうか」 という切実な問いが吹き出して くる。がまた同時にわき上がる 裡の声・・・いや、生き地獄の この現場、無明と憎悪のただ中 であるここだからこそ、生きゆ く生命の道そのものとして、ま た自ら目覚め、他をしてめざめ しめる光明そのものとしてこの 坐禅をつとめなければならない のだ」、「坐禅こそ生命の真実そ のものであり、生きゆく道の燈 明そのものなのだ。

 これ以外に 現代の苦悩と悲惨の原因を根本 的に解決して行く道はないのだ・・・ 」と自らが自らに言い聞かせる。 しかし、この答えのすぐあとに わき上がる新しい問いかけ、自 らの肉を削る思いの絶えざる自 問自答の繰り返し。問いは自ら の心をえぐり、答えは常につき 崩される。自分が今ここで坐禅 しているこの瞬間に、あの山の 向こうでだれかが、いやもっと たくさんの人々が今殺されてい る。

 さらに、この地球上で、こ の一分一秒に、どれだけの人々 が、子供たちが飢え死んでゆく か、殺されているか・・・さらに 続く自問自答。

 眼前の山々は険しく厳粛であ る。我々人間の愚かさと無明を 厳しく戒めているようだ。こう して坐禅に日をつなぐうちに、 私の心に仏祖のお言葉が響き渡っ てきます。皆と一緒に坐禅を重 ねているだけで夜空の星が雪を 戴く眼前の山が教えてくれます。

南無帰依三宝
自帰依の教え−−自らを依り所とし、他を依り所とすることなかれ
法帰依の教え−−法を依り所とし、他を依り所とすることなかれ
諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静

 さらにまた、道元禅師のお教えが続きます。
「ただわが身をも心をもはなちわすれて佛のいへになげいれて 佛のかたよりおこなわれて−−」 と。

 あるいはまた、このような現代 だからこそ、今こそ菩薩の願行 ということがしっかりと自覚さ れなければならない、と感じら れます。現実のこととしての菩 提薩多四摂法(布施・愛語・利行 同事)や八大人覚の教え、 草の庵に立ても居ても祈ることわれより先に人をわたさん おろかなるわれは仏にならずとも衆生を度す僧の身なれば ひるがえってみますと、日本 を離れ、ヨーロッパ・アルプス の山中で、あるいはドイツ・バ イエルン地方の田舎のゼミハウ スでこうした自問自答に自らを さらけ出す現場としての坐禅修 行を、さらにはゼミコースとし ての接心の全体を「覚行」とし 「願行」とするところ、これこ そが宗門人としての私自身にとっ ての平和への道程の原点である べきだと信じます。

 また、このような宗門個々人 のかかわり方が、宗教団体とし ての曹洞宗が担う教義と実践の 現代におけるその普遍妥当性の 検証であり、このことがとりも なおさず宗門の「国際化」であ り、また私達の悲願としての 「平和」への努力でなければな らないと考える次第です。 脈絡のない話しにて、大変失礼 致しました。

田上

 ありがとうございました。そ れでは、最後になりましたが、 松永然道先生にお願い致します。 先生はこの『SOTO禅インター ナショナル』の会長でもござい ますし、二〇数年にわたりまし て、開教師としてもご活躍をな さいました。そういう体験を通 してまた、『曹洞宗ボランティ ア会』の会長としてもご活躍で ございます。このような様々な 立場から、今回のテーマに関し ましてお話がいただけることと 思います。よろしくお願い致し ます。

松永

 ご紹介頂きました松永でござ います。今日、ここで私として はSVAと申しておりますが、 『曹洞宗ボランティア会』の代 表としてのお話をさせていただ きたいと思います。

 まず、今日のお話の最初に最 近の毎日新聞の資料をご紹介申 しあげたいのです。これは去年 のユニセフが調べた数字でござ いますが、今一日に三万五千人、 年間にしまして一二九〇万人の 五才以下の子供たちが死んでい る。その内、戦いで過去一〇年 間、推定一五〇万人もの子供が 殺され四〇〇万人もの子供が障 害をうけたとあります。その障 害というのは手足を飛ばされる とか、脳に怪我をするというこ とです。

 もちろん、失明もござ います。その子供たちに対して、 もし二五〇億ドル、ちょっと大 きい額ですが。これがあれば四 〇〇万人の子供たちを死なせな いで助けることができると云わ れます。それはどんな金額かと 申しますと、日本円にして二兆 五千億円ですね。

 二兆五千億円 とはすごい数字だなあと恩いま すが、日本の企業が年間に使う 交際費が、何と三五〇〇億ドル ですから二五〇億ドルは驚くほ どの数字ではないんですね。ち なみにアメリカ人の一年間に飲 むビール代が三一〇〇億ドルだ そうです。ですから、いかにわ ずかのお金、まあ、わずかとは いえませんですけれども、これ らの交際費とかビール代に比べ たら少ない額で、四〇〇万人の 子供たちを救うことが出来ると いうことを考えなければいけな いと思います。

 私どもは東南アジアでの救援 を十四年間つづけております。 タイ、カンボジア、ラオスに事 務所を置き、各地に四、五名の 日本人スタッフが駐在して、そ の他それぞれの国のスタッフを 教えると一〇〇名以上になりま す。私も少なくとも年に二・三 回は現地へ行かせて頂いておりま す。今年の三月訪問した時に、 カンボジアのお坊さんで難民キャ ンプで十三年前にお会いしたマ ハー・コーサナンダ師とお合い することが出来ました。この方 はカンボジア人のお坊さんです が、カンボジア国内でお会いし たのは、この時が初めてでした。

 今年のノーベル平和賞にノミネー トされているんだそうです。大 変カンボジアでは有名でシアヌー ク殿下とかポル・ポトとかそう いった方々とも交際のある方で す。カンボジア難民が自国に帰 還出来るまで、世界中を回り自 国の窮状を訴えた方でございま す。

 この方が去年のカンボジア 選挙のときに、自分のお弟子さ んは勿論、その他のお坊さんた ちや住民を先導して平和行進を しました。その平和行進が終着 のプノンペン市に着いた時には、 一万を越える住民が参加をして 選挙を無事に行わせることに大 きく貢献したと云われています。

 その方の一番弟子にネム・キ ム・テン師という方がいらっしゃ います。このキム・テン師は先 月日本にもいらっしまして講演 をし、またこの宗務庁にもいらっ しゃいました。その方の言った 言葉がこういうことでございま す。

 マハー・コーサナンダ師が 行進中にキム・テンさんに「右 足だけで歩いてみなさい。」と 言ったそうです。右足だけで歩 こうとしても、せいぜい十数歩 行です。そしたら「それでは今 度は左足で歩いてみなさい。」 と言われた。やはりそんなに長 くは歩けませんね。その時に、 コーサナンダさんが右足が仏の 「慈悲」で、左足が「智慧」な んだと言われたそうです。

 その 「慈悲」と、相手を思いやる心、 先程、奈良先生がおっしゃった 「わが身にひきくらべて」と言 う意味と同じだと思いますが、 それと、もう一つは仏の「智慧」、 「智慧」というのもはご承知の とおり恐ろしいものなんですね。

 ですからこの二つは何時も一緒 でなければならない。このニつ があって、はじめて平和に向かっ てあるくことができると云うの です。カンボジアにとってばか りでなく、世界にとってこの仏 の教えが大きな意味を持つと思 います。

 今、カンボジアの人達 が自分たちの足で立ち上がり、 殺し合いを止め、為政者に命令 されて動くだけではなく、自分 たちの力で自国の平和を掴み取 ろうとしたのが、コーサナンダ 師達の行なった平和行進だった のだと思います。先程、井桁先 生のおっしゃった「積極的な平 和」というものをつかもうと歩 きだしたのではないかと思うの です。

 私たちがカンボジア難民の支 援をしていたときに、カンポジ アの人たちと知り合い、カンボ ジアの文化を学ぶことが出来ま したが、同時に救援するという ことの難しさも知らされました。 因っている、飢えている人がい たら、まずその人達に食べ物を 与えなきゃならないというのが 私達人間同士の勤めだと思うん ですね。その先に平和論があり、 人権問題、環境問題が考えられ るんですね。死にかかっている 人には、まず水や食べ物、もし くは医療がまず第一番に必要な のですね。

 『曹洞宗国際ポランティア会』 が、『曹洞宗東南アジア難民救 済委員会』のあと引き継いで活 動させていただいていることは、 宗門が、仏教徒が続けるように と言って下さっていることなん だと思うんです。私どもの会員 は二三〇〇名以上もいます。二 三〇〇名位しかいないと云うべ きなのかもしれませんが、年々 少しずつではありますが増えて います。これは、賛同し、応援 して下さる方々が私達をして現 地で働かしめていることだ思い ます。

 もうひとつつけ加えてお きたいことは私ども『国際』と 名乗っておりますが、それはま さしく井桁先生がおしゃったよ うに『国境』を前提とし、その 「国境」を乗り越えることを意 味しています。なぜなら宗門の 教え、仏法は「国境」を乗り越 えているからです。しかし同時 に、私たちは日本人だと云うこ とを忘れてはならないと云うこ とだと思うんです。日本人であ るからこそできる事と、日本人 であるからこそしてはならない 事を、何時も厳しくチェックし ていかなければならないと思い ます。さもないと、日本の過去 おかした戦争というものと同じ 過ちを、今度は形を変えて経済 的な文化的な侵略を救援の名の もとに繰り返すことになると戒 めております。

 私たちはカンポ ジア人ではありえないし、そし て私たちは日本に住んで一応戦 争のない平和な場所に生活をお くらせていただいているものだ からです。そこを間違えると、 とんでもないことになるんだと 思います。

 小さなボランティア 活動を通して学んだ国際化と平 和への理念みたいなものをお話 させて頂きました。時間が来た ようでございます。また後ほど 必要が御座いましたら、更につ け加えさせていただきたいと思 います。

田上

 先生方にそれぞれの意見を頂 戴いたしました。簡単にまとめ させていただきますと、奈良先 生からは平和ということは暴力 のないことその一点にある。そ れは具体的にそれは物理的ある いは精神的両面におきまして、 見える力、見えない力、いずれ におきましても暴力はいけない。 暴力のないというところから平 和は実現されてゆくものだとい う釈尊のお言葉を、自分の一人 称の形で実現していくことでは ないかとお話いただきました。

 その一人称を通していきますと、 釈尊は世の中で一番かわいい者 は誰かと聞かれたときに自分で あると教えられましたが、どの 国の人も、どんな民族の人も、 自分ほどかわいい者はないと考 えることは共通しております。 この一人称で考えるということ は、国際化を考える上で、この 考え方は、十分に生かせるので はないかと思います。そういう ことで「慈悲」ということも訓練 であると奈良先生は述べられま したが、一人称を通して「慈悲」 というものを訓練しお互いに傷 み分けして、苦しみを分け合っ ていくということを訓練してゆ こうということでございました。

 井桁先生の方からは国家の問 題は差別につながることである。 世界規模での差別というものは、 民族間の差別とか、人種差別と かあるいは性差別があります。 世の中には男と女しかいません が、その一方の女性が古来差別 されてきたことは、差別の中で も最も大きな問題です。これを 含めまして、差別を抜きにして 戦争だけがなくなれば平和かと いうとけっしてそうではない。 平和は国家間の国境をはずすと いうこと。国家間の障壁をなく し、あるいは、国家の実体観を 取り除くことからはじまるので はないか。構造的暴力というも のがなくならないかぎり、真の 平和はないということで、ここ には差別観念が十分にあること を述べられました。

 この構造的 暴力の現実が今日あるわけでご ざいますが、この構造的現実の なかで修業をしていると、静か に坐禅しているこの自分が一体 何なのかということを痛切に知 らされて、そこで自分の存在、 自分の生き方というものを問い 直し、そこから坐禅本来のあり 方、坐禅の今後のあり方という ものについて、自分にひきよせ て『自灯明』、『法灯明』という ような釈尊のお言葉が、自分の 支えになるということを中川先 生は述べられました。そして、 仏教の教化理念である『四摂法』 が、今日の社会生活にこそ生か されていかなければならないこ とを中川先生は述べられました。

 それから、松永先生は『曹洞 宗ボランティア会』の代表とし て、理念としては「智恵」と 「慈悲」が土台にならなければ 平和は実現しない。こういう理 念を実現するためにはやはり、 先程の貧困、差別、抑圧、とい う問題が解決されるためにはや はり、物的なものが先でなけれ ばならない。空腹を癒すという ようなことが最初にあって、満 腹したところに心の安らぎを与 えるという理念の実現が行なわ れなければなりません。現実に 様々な例をあげていただきまし て、その理念の実現の方法など も教えていただきました。

 当然、 松永先生はこの『四摂法』の 「布施、愛語、利行、同時」が 必要であることを、控室の雑談 の中で強調されていましたが、 本日のお話のなかにはございま せんでした。四人の先生方のお 話を簡単にまとめさせて戴きま したが、これらのお考えに関し まして、ご来聴の皆様の方から ご質問がございましたら後ほど お聞かせ頂きたいと思います。

質疑応答は紙面の都合により略


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