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特別寄稿 『平和を祈る』

特別寄稿 「平和を祈る」     

To Pray for Peace (in English)

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穩であれ、安楽であれ。(中村元訳『ブッダのことば』「慈しみ」より)

これは今年、ミャンマー(ビルマ)で行われたデモの折、僧侶たちがお唱えになっていた「慈経」の一節である。あの僧侶たちが願ったのは、軍事政権の転覆や、政権の返還が最たる目的ではなかったろう。ただ、ひたすらに、貧窮にあえぐ庶民生活を救済することであり、また僧侶に暴行を加えた軍政に対して謝罪を求めての平和的な抗議行動であった。

誰が手に武器を持っていたであろうか。しかし、はじめ民衆の生活苦を救うためのデモも「軍事政権打倒」を掲げるようになった。だが、僧侶たちの抗議運動はあくまでも祈りと読経によるものであり、一切の武器を持ったものではなかった。そしてミャンマー全土の僧侶たちが行ったのは覆鉢(鉢伏せ行)であった。それは仏陀を誹謗したり、仏法を誹謗したり、僧団(サンガ)を誹謗したり、僧侶たちの住処を荒廃させたり等に該当した行為を在家の人がした場合に、僧侶に許されている宗教的抗議行動である。一切の布施を受け取りませんよ、という意志表示であり、在家の人にとっては徳積みができない一大事ということになる。これは日本の人々には考えられないことであろうが、徳積みをさせて頂けないということは、現世及び来世の自分自身の安楽のために由々しい罰にあたる。

ミャンマーの多くの国民は仏教徒であり、軍人たちの多くも仏教徒であるから、覆鉢をされることは、本来ならば、お許し頂きたいはずのことなのである。しかし、軍事政権は発砲し、多くの僧侶を拘禁した。その上でお袈裟をはぎ取り還俗させたつもりになって、拷問にかけたり、虐殺したのである。しかし、心の袈裟を剥がすことは誰にもできない。

世界を見渡せば、ミャンマーだけではなく、あちこちで戦いの炎が燃えさかっている。イラク、アフガニスタン、イスラエル、パキスタン、イラク・トルコ国境、チェチェン等々。大宇宙の中の小さな天体、地球の中で繰り広げられている戦い。自虐行為をしていることに気が付かないで、自分だけ権力を持ち、冨を手に入れられれば、それでよしとすることは、人間として残念なことだ。他の人を殺すために自分の命を授かったのではないのだ。「人身得ること難し」であり、せっかく人間として生命を受けたのに、それは残念なことなのだよ、と宗教者こそ伝えなくてはならないことであろう。

政治的に他の国に干渉するということはできないが、僧侶としては生きとし生けるものの命を奪うことは過ちであること、これを示さなくてはならないであろう。同じく「慈経」に次の釈尊の言葉がある。

あたかも、母が独り子を命を賭けても護るように、その一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。(中村元訳)

拘禁され拷問を受け、僧籍を剥奪された一人のミャンマー僧は、故郷に帰る前に、「拷問を受けているとき、拷問する兵士の心に平安が訪れるようにひたすらに祈っていた」と友に語ったという。

また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障碍なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。(中村元訳) 

たまたま現在は、戦火の火花が散っていない日本で、安穩に生活している僧侶として、できることはなにか、一人一人に問われている問題ではないだろうか。


この特別寄稿は、SOTO禅インターナショナル会報36号(2007年12月発行予定)のために曹洞宗総合研究センター研究員 丸山劫外師よりいただいたものです。
執筆者のご厚意により、会報発行前に当サイトに掲載させていただきました。

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